ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5562,フーテンの寅の、本質と家族の幸せとは 〜④
 父や、義兄などの末期ガンで悶絶しながら死んでいく姿を垣間見ると、
プチッ(安楽死)と早々に最期を向かいたいと思うのは、私だけでないだろう。
ガンが進行するにつれ、その痛みが強くなり、それにつれモルヒネも強くする
しかない。中毒の心配など、先のない末期患者には関係ない。
著者は、進行度に合わせてモルヒネを調整すれば、問題はないという。
ガン患者の7割が痛みを訴え、その半分がモルヒネでないと痛みが取れない。
一般的にモルヒネを使うと、死期を早めるが、専門医が適切に使えば苦痛を
減らせる。死因はあくまでガンの進行。傍からみれば、モルヒネが死期を早めて
いる、と思われるが、ガンの進行に合わ強くしているための誤解。
末期患者は3年、5年先まで生きるわけでない。 ここで知ったのが、
「鎮痛補助剤」。坑うつ剤、坑痙攣剤、坑不整脈薬など、本来の効果とは
別に、痛みが伝播する回路に働いて痛みを緩和する。で、プチッ=安楽死? 
これは現在の日本では禁止されている。ただし死ぬ前から、その意思表示をして
おけば、医師は、それを元にモルヒネなどの加減で、延命をしない判断も出来る。
 現在、日本人の二人に一人がガンになり、三人に一人がガンで死んでいく。
何らかのカタチで、余命を言い渡されるか、自分で悟ることになる。その時から
死ぬまでの数ヶ月間は、生存への渇望と肉体と精神の苦痛の中で、独り悶絶する。
生きることは大変だが、死ぬのも大仕事である。 父も最期の最期は、モルヒネ
を大量に投与をして亡くなっていった。「苦しみを最小にするに、それはそれで
良い」と著者もいう。ある映画の一場面に、ガンになって入院してきた男に、
古手のガン患者が、こっそり、のた打ち回る患者を数人掛りで押さえ縛りつけて
いる現場に案内、隠れ見る場面があった。義兄のガン末期の似たような場面を
聞いた。父が亡くなる数日前、病院の一室で、頭を掻き毟っている姿もみた。
三人に一人は、このような状態で亡くなっていくのが現実。元気なうち、出来る
うちにすべきことを成すべき。アル中や薬中には、モルヒネは普通の人の数分の
一しか効かない。 酒の絶対量を飲んできた私も、その報いが出る可能性が高い。
「プチッ!」とは、どうも逝けそうもない。モルヒネで恍惚状態も悪くないが。
高校の同級会のメンバーと、中学の男の同級生の四分の一が既に亡くなった。
生きている限り「他人は先、我は後」だが。
・・・・・・
4091, 老いの見本帳ーダークサイト −11
2012年6月7日(木)
        「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
   * 幸福とは   
「老いを考えることは、それぞれの幸福を考えることである」、というのが、
この老人奇譚集の目的である。晩年になると、来し方の人生を悔むこととなる。
それは中古品の若者としての哀れな姿でしかない。晩年の両親の姿を間近で
見ていたので、タジロギが少ないが、決して甘い世界ではない。それでも、
生きていれば老いていく。人は生きてきたように老いていくしかない。  
 ーあとがきー の文章が、老いについての締めくくりになっている。 
≪ 老いへの不安を覚えている人は、決して幸福な状態にあるとは言えない。
老いを目前にしているという事実の前にたじろぎ、老人ないしは年寄りとしての
自分の姿を想像しきれぬまま、自分自身に違和感を覚えつつ心許ない日々を送る
のは、まことに居心地の悪いことである。老いについて語り論じることは、
結局のところ幸福について考えを巡らせることと重なってくるに違いない。 
近頃のわたしは、幸福が二つの文脈から成り立っていると実感するようになった。
* ひとつは日常における安寧とか安定とか平和とか、つまり波風の立たない
 平穏な毎日である。それは往々にし退屈に感じられたり、無価値に映る
(殊に若者にとっては)。だが大病を患ったり危機的な状況に追い込まれると、
「当たり前の日常」の有り難さが身に沁みる。ある雑誌に「人生の意味について」
を特集をしている。「人生に意味はあるでしょうか」という質問をさまざまな

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06月07日(火)
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