ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5533,若者よ、外に出よ! ー⑫ 19世紀の芸術に触れろ〜A
自己と他者、主体と客体、という分け方は意味を持たない。意味としてつながり
合って相互作用しているのみ。クオリアAが観劇できる範囲は、身体Aの五感が
情報取得する範囲まで。つまり、身体Aは移動式観測装置だ。これまでの世界で、
あなたと他人の同意とか共感とか呼んでいたものは、身体Aを介した他者の
自己化だ。いや、自己の他者化と言うべきか。自己という概念はないので、
主客合一、自他非分離と言うべきである。≫
≪ ー私とは、仮構された「自己」というシステムでしかないー 
 もちろん、この楽しく生き生きした世界を観劇できなくなることはとても
残念だが、それだけ。「私の死」ではなく「一つの観劇システムの終了」だ。
つまり、仮構された「自己」という概念を解体してみると、「死ぬのが怖い」
という概念は存在できない。「死ぬのが怖い」という概念は、「自己」という
幻想に付随して作り出された幻想に過ぎないのだ。比喩的に言えば、身体Aとは
窓だ。一つの窓を通して世界を見る装置だ。世界は、いろいろな身体を通して
見られていた。また、世界では、それらの身体によるインタラクションも行われ
ていた。これからも今までと同じように、行われていく。おびただしい数の
身体たちによつて。違いは、おびただしい数の身体の中のたった一つである
ところの身体Aが機能を停止した、ということだけだ。それに伴い、役目を
終えた、身体Aを介した世界観測者であるクオリアAもまた役目を終えた。
ただそれだけ。  もう「つ、強調しておくと、身体Aと世界は一体だ。
身体Aは、世界とつながっている。世界は、身体Aとつながっている。つまり、
元来「自分」と呼んでいたものは世界である、世界は「自分」だ。
本来、自己と他者の境界はない。境界を定義するからあるように見えるだけだ。
したがって身体Aの喪失は、世界の一部の喪失に過ぎず、世界から見ると
髪の毛や爪を切るようなものだ。≫
▼ 自己は定義の結果とすると、精一杯生きてきたこと自体が何だった
のだろう?そこで立ち現れた世界が自分になる。ご隠居の身になった現在、
私など死のうが生きていようが、どうでもよいこと。今まで「自分」と呼んで
いたのが実は世界だったということ。入江の洞窟と外海が繋がっていて、洞窟
の周辺を自分と思っていたが、外界を含めた世界が自分と考えると納得する。
己の行蔵を振り返ってみれば、そのことがよく分かる。今の自分も世界という
ことも。そうこう考えると、何?この俺は! になる。ただ気楽に死ねば
よいだけ、プシュと。 ボチボチ気楽にいけばよい。
・・・・・・
4062, 本当は怖い抗うつ剤 ー1
2012年05月09日(水)
 数ヶ月前に抗うつ剤(ハッピードラッグ)の恐ろしさについて書いたが、
ある雑誌に浜松医科大元教授の抗うつ剤からの脱却のレポートがあった。
親戚・縁者にも鬱病に苦しんでいる人を多くいる。青年期に何度か挫折体験を
したが、宗教系や精神論の本で、独りで克服してきた。去年の挫折?は、
早朝のミニサイクリングとスポーツジム通いで運動量を増やし、毒が溜まらない
ようして乗り越えた。iPadにエネルギーを集中したことと、シネマ通いも
効果があった。 また身近な縁者の倒産劇を手助けしたことで、情報を得ていた
こともある。節目は可能な限り綺麗に?を、心がけたことも毒を最小にした。 
私の知人に気楽に精神科の通院を勧めたが、大丈夫だろうか。 抗うつ剤が
多く使われ出した頃から、自殺者が激増し始めた統計がある。要はドラッグ
患者に仕立てられているのでは? という疑問が出ていた矢先の、医学者の
実体験の内容である。 恐ろしい限りである。
  ー 大まかにまとめると ー   {浜松医科大名誉教授 高田明和}
≪ 厚生労省は2013年から、今まで4大疾病として扱われてきた、脳卒中、
 急性心筋梗塞、がん、糖尿病に精神疾患を加えることを決定した。厚労省が
08年に実施した調査によると、精神疾患の患者は323万人と糖尿病の患者数
237万人を上回っている。 自殺者の数は13年運続で3万人を越えている。 

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05月09日(月)
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