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堀井On-Line
by horii86
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■5515,閑話小題 〜「はてな」のブログ、100万人超え
暖かさの差が大きくなる。その段差が、人間を成長させるのである。逆に言えば、
その段差が少ないと、成長が逆行していくことになる。自分を意識する前に
見知らぬものとの出会いがある。その境目が増えるにしたがって、己との枠が
でき、それが自分になる。それぞれの時代の相手の中に、自分の姿が合わせ鏡
となり、自分の姿の一部を垣間見ることになる。
・・・・・・
3678, 自己を見つめる −5
2011年04月21日(木)
「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)
ー 境遇 ー
【人生においては、私たちは、それぞれの境遇で、様々な経験をしながら、
自己自身の人生の有意義性を目指して、日々努力を重ね、永い人生行路の
過程を踏み、自己の歴史が築かれてゆく。人生とは、そうした各自の時間的
歴史的な行程であり、多様な諸経験を重ねてゆく遍歴の旅路である。
人生は、しばしば、旅だと言われ、西洋でも、人間とは「ホモ・ヴィアトール
(旅する人)」だと語られる。しかし、そのような遍歴の旅とは、いったい何で
あろうか。とりわけ、多様な諸経験を経巡ってゆくということのなかに
籠められている大事な眼目は、いったいどこにあるのだろうか。・・
遍歴の労苦を通じてのみ、私たちの人格の花は、大きく咲き出るのである。
格言に言われるように、可愛い子供には旅をさせねばならず、異境に出て、
他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ初めて、
私たちの人格は、大きく実るのである。そうした切磋琢磨と、人格的遍歴の
過程を、すべての人が、互いに、愛の思いと暖かい心とを込めて見守らねば。
こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、
裏切ることのない、誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みの
すべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、貴重な人間的
経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる
人間にとっての、最も崇高な、道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】
▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型
である。それは、自分の魂にとっても同じこと。異質なものとの出会い、
そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に
出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ
初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、人格は
大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは
異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。
・・・・・・・・
3313, 対話について
2010年04月21日(水)
「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
* 対話について
プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。
以下は、そのエッセンスの部分である。プラトンと、ソクラテスの立場を
簡潔に分かりやすく述べている。 ーまずは、その部分から (p28)
ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」
として書いた。ソクラテスとプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと
書くことのへだたりと「対」として現れる。ここに、哲学成立の秘密がある。
対話とは、人と人との出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく
営みである。それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、
一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる特定の生きた状況、
時と場を離れてはありえない。会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と
言葉が吟味により明るみに出し対話する人の生そのものである。そして、人と
状況は、その対話を通じて変化していく。対話を交わした人のあり方は、もはや
以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を
形作るものである。そして、対話は、二度とくりかえさることはない。
これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか
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04月21日(木)
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