ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5385,閑話小題 〜潮流のうねりの波間で
事業も「お一人様専用ビジネスホテル」だった。ひとりカラオケを「ヒトカラ」、
二人のカラオケを「フタカラ」、多人数のカラオケを「タカラ」と呼ぶ。
ヒトカラは、歌の練習やストレスの発散に使われるが、何か侘しいか。
* そろそろ今年の総括
今年は、東北大震災と、30年続けてきた事業の惨事?が重なった。
20%半ばの売上ダウンが三年目に入っても止まらず落ち続ければ、この事態
は当然。恐慌の前ぶれの波に直撃されたことになる。過去40年近い事業人生で
資金繰りの心配は無かった。しかし、数値は数ヶ月後に資金枯渇状態になること
を示していた。何度もシュミレーションしても、半年後にはアウト。その上に
東北大震災が起れば何の躊躇することなく決断をせざるを得ない。そうこう
あって、心の痛手は深いが、未練とか、後悔はない。それより現在起きつつ
ある大恐慌の近将来の到来と、東北震災の経済に及ぼすマイナス現象である。
今さら最悪の状態の私が何を言わんであるが・・
今年の総括は、もう少し年末が押し迫ってからにする。
・・・・・・・
3548, 遊ぶように生きる
2010年12月12日(日)
=横尾忠則の、ある雑誌にあった「死を想う〜人生の一考察」が面白い!
その一部を抜粋してみる=
【一体人生とは何なんだ。お釈迦様は生老病死と言われた。確かに上手いこと
を言う人だ。大抵の人間はこの四文字を経験する。お釈迦様みたいなエライ人
でも、これだけは平等。エライから死なないということはない。エライ人でも
アカン人でも全員がこのフルコースを味わうことになっている。だったら
ぼくひとりが死を恐れるのはおかしいけれど死だけは自分にとって特別のもの
のように思っていて、他人の死は死でない。では一体何をそれほどまで恐れ
なければならないのか。死の到来が苦痛であることをわれわれは知っているが、
死以上の苦痛がないかといわれればそんなことはない。じゃ何がそんなに怖いか。
死によって愛する人や物と別れなければならないからか。それとも死によって
自分が消滅してしまうからか。消滅すれば全ての煩悩も瞬時に失くなり、身心的
な苦痛から解放され、これこそ真の平和なんじゃないのか、なのにどうして真の
乎和をそんなに恐れるのか。それとも死後生を信じているあまり、もしかしたら
地獄に堕とされるのじゃないかと不安に襲われているためなのか。それはそうと、
では人生の目的は何なのかということになる。生きるため? 死ぬため? 感動
するため? 美味い物を食べるため? 金持ちになるため? 美人の奥様を持つ
ため?etc そこでぼくは考えた。ぼくの職業のアートと同じ生き方をすれば?
と。ぼくにとってアートは仕事というより遊びだ。目的のない遊びである。
ところで遊びは最初から目的がないものでしょう。 もし目的があるとすれば
遊んでいること自体が目的である。目的がないから自由があり、快楽があり、
解放があるのではないか。人間は本能的に自由を希求する。そしたら人生全部
を遊びにすればいいのではないか。つまり人生から目的を外してしまえばいい
のではないだろうか。生きることも死ぬことも目的を持つからシンドイのである。
どうせ生老病死なんだ。生老病死は別に目的ではない。単なる現象だ。
そしてお釈迦様に言わせれば現象は夢、幻だということになる。そんな実体
のないものにいかにも実体があるかのように思って振り廻されているのなら、
それを遊びだと思えばいいのではないか。 】
ー人生に意味などないと、五木寛之も書いているが、意味=価値とすると、
そんなわけがない!と言いたくもなる。身近の人の死をみると、様々の人生が
あるが、意味など、あまり深く考えても仕方がないような気がする。横尾の
ように、目的ない人生なら遊ぶとして、割り切るのも良いだろう。
「遊びをせんと生まれけり」で、それはそれで。
・・・・・・・
3173, 閑話小題
2009年12月12日(土)
* 腰痛
腰痛、この季節の変わり目にかかわらず、今のところ落ちついている。いずれ
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