ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5378,閑話小題 〜独身世帯の半分、全体の3割は貯蓄ゼロ!
それをもって計画倒産と揶揄されるが、20年、30年の長期投資、リスク管理をして
おくのは当然である。家族を一切、会社に入れないとか、連帯保証をさせないとか。
破綻の恐ろしさの両親の教えもあるが。
  * 有楽町・東京駅の再開発
 最近、有楽町周辺に行って驚いたのがJR駅銀座口出口の変わりよう。
この10年で次々と大型ビルなどの再開発がオープン。ニュースで知っていたが、
実際に現場に立った実感は違うもの。 特に秋葉原や有楽町駅銀座口の雑然と
していた飲食街が一掃されて、近代ビル街が出来ると、その変わりように驚いてしまう。 
家内がJRの2〜3ヶ月に一度出す格安料金で、東京のスポットを回るのを楽しみに
しているが、何か分かるような気がする。 都会は、脳が外部化したものというが、
成るほど、そのとおりである。また東京駅の丸の内の再開発ビル群にも驚いてしまう。
丸ビル、新丸ビル、そしてオアゾも地下で通路が行き来できる。たまに行くには良いが、
都会暮らしは、私にはそぐわない。とはいえ、田舎の閉鎖性も、どんよりして好きでない。
 ・・・・・・・
3541, 価値観の中心の書き換え ー3
2010年12月05日(日)
 誰もが、人生の節目は価値観の中心の変わり目になる。
それが小中高校の進学時だったり、社会人になる時だったり、家庭を持ったり、大病を
患った時だったり。若いときは成功物語を夢見、そして挫折を繰り返しながら、中心の
価値観が変貌していく。節目を打つとは中心の思い切った書き換えということになる。
社会に出て10年スパンか、20年スパンで、節目を自分で作っている人を時々見かける。
人生設計をし、それに従って生きるのも道理。起承転結という文章作法(あるいは
四コマ漫画)のとおり、起=0〜19、承=20〜39、転=40〜59、結=60歳〜 を、
区切りとする視点も、分かりやすい。文章作法では、一番大事なのが「転」というから、
40〜59歳が胸突き八丁で大変だが、心して生きなければならない時期。
しかし振り返ると、それぞれが同じ位、重要であるのも事実。19歳までは、基礎づくり、
39歳までの20年全力投球、59歳までは苦しみ、楽しみを味わい、60歳以降は、
それまでの経験を振り返り、鳥瞰した目で人生の仕上げに入る時期になる。
「価値」に一番近い言葉として「意味」がある。人生の意味を突き詰めると、
自分の物語をつくっていくことになる。そうすると自ずから人生観の中心に自分の理想、
挫折などの経験が、物語の要素になる。どれがベストという訳にはいかない。
それぞれの人生があるから。「上を見れば限がない。横を見れば情けない、
下を見れば底がない」のが比較の世界。所詮は、死んで三日も経てば、過去の人として
忘却の彼方に消えていく。「価値観の中心の書き換え」も生きていればこそ。 
それが出来るのは「いま、ここ」だけ。 「人生の意味など何も無い!で、
いいじゃないか!」も、事実。 「日々是、己に口実!」もある。
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3166,シュリーマンの話  ー3
 2009年12月05日(土)
 5年前に、シュリーマンの話を二日続けて書いた。映画の「トロイ」を放映が
キッカケである。その時の内容は彼の人生と勉強法だったが、たまたま図書館で
借りた「09年ベストエッセイ集」の中で、「リーマンの見た日本」のテーマで
(文藝春秋に記載)載っていた。作者が但木敬一前検事総長というから、なお注目した。  
  ーその面白そうなところを抜粋したー
・ 私の家の菩提寺は、品川にある東禅寺である。幕末の頃、この寺はその一部を
イギリス公使館として使わせていた。1861年とその翌年の二回にわたり、攘夷派
浪士の襲撃を受け、多数の死傷者を出した。広い庭と複雑な屋敷の造りが幸いして
オールコック公使は難を逃れたが、当時の刀痕は、今なお柱などに残っている。
シュリーマンがこの寺を訪れたのは1865年、明治維新の3年ほど前の6月である。
「シュリーマン旅行記 清国・日本」には、「ほうぼうの障子紙に、この襲撃のときに

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12月05日(土)
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