ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5351,浅田次郎の人生相談 ーうつ病を治したい
たとえば通常の視距離でハッキリ見えるのは、視野の四分の一に過ぎない。
目はこの制約に対処するため、絶えず視野を動かし、一秒におよそ三回の割合
で動いて止まってを繰り返す。さらに動いている目に何が見えるかは、見る人
によっても変ってくる。たとえば、男と女では、気づくものが違う。
男が女の財布をひったくられたのを目撃したとき、女性はひったくられた
被害者の容姿や行動に目が行きがちだが、逆に男性はひったくられた犯人の
風体を覚えている。 ・・交差点では、右折か左折かをするとき、右利きの人
は右折を、左利きの人は左折を選びがちである。結果として、ある研究の
報告者は、こう助言した。「店や銀行で、なるべく短い列を探すとき、
まず左側を見るべきだ」と。・・・「人は探しだすのが難しそうだと、
早めに「あきらめる』ようにプログラムされている」また、レントゲン技術者
は画像に写った悪性腫瘍の9割を見落としている」というし、アメリカ国内で
10年前に調査された結果だが、四丁に一丁の割合で見逃されていた。≫
▼「自分は、見れど見えず、知っても理解できず」と、突き放すべき。 
 昔読んだ本を再読して、果たして、この本の主旨を理解していたのだろうかと
疑問を持つことが多い。その時の自分の知識レベルで中途半端に理解していた
に過ぎない。 リタイアをし、過去を振り返ると「しまった!、あの時の、
あれは」と、日々、独り言を呟くことになる。その上に「手ごわい後バイアス」
のフィルターがかかっていれば、独り思い込みの世界に、それぞれが居るような。 
しかし、人は、失敗を恐れ、「何もしないという、より大きな失敗」を選択して
しまう。そして、これが限界と、自嘲するしかない。そして誰かに向かい
「自分の人生を返してくれ!」と、嘯くしかない。それが両親に向かったとき、
自爆、無知の極みの悲劇になる。
・・・・・・
3879, 閑話小題
2011年11月08日(火)
   * 焼鳥屋、鳥梅
 私の幼稚園の頃の、一番初めの友達が、近くの焼き鳥屋の息子であった。
幼稚園の一年間と、小学校の二年の三年間。ある日の午後、そこに遊びに
行くと、今から思うと焼き鳥の串さしの仕込みを御父さんがしていた。
子供なりに、仕事の場には近づいてはならないことは知っていた。
ところが手招きをして、その一本の焼き鳥を差し出してくれた。そして、
食べて驚いた。その美味いこと。ガムのようで噛んでも噛んでも、噛み切れ
ないが、その味わいと香りは、今でも強烈な記憶として残っている。その後、
成人になって長岡にUターンをしてから1〜2度、飲みにいったことがある。 
私の幼馴染は何があったか分からないが、店から引退し、姉さんと、奥さんが
店に出ていた。その店の前を二月ほど前にポタリングの帰りに通ったら、
店の看板が無くなっていた。そこで、姉さんらしき女性が、店の前で掃き
掃除をしていた。 そこで、長岡の夜の博士と自認している?人に、聞いて
みたところ、「この春に閉店したが、その閉店の日に行ってきた。
姉さんも高齢と不景気で止め時と言っていた」という。それにしても、
幼稚園時代の記憶の原点の一つの店が閉店とは、時代の変わり目である。
   * 11月7日になると
 毎年、11月7日になると思い出すことがある。私が27歳で初めて
貸しビルを完成、その一角で養老の滝のFCの居酒屋をオープンした日である。 
まだ生々しく憶えているが、開店直後からパニック状態でオロオロし、身体は
硬直し、冷や汗が出て、茫然自失とは、あの状態である。一週間は使いものに
ならない廃人状態。 後で分かったことだが、20年、30年の経歴を持って
いた人でも、殆ど同じ状態になるという。 それを聞いて安心したが、
あの切なさは言語を絶している。それでも両親の創業時の姿からみれば、
全く甘いもの。実際に自分が現場で七転八倒をして、両親の苦しみの一端を
知ることになる。酒飲みの酔った時の異常な振る舞い。カウンターの内と外側
の一歩の大きな差。立場が変わった時の風景の違いを、そこで思い知った。 

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11月08日(日)
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