ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5330,閑話小題 〜メガネ店に隣接したコンタクト専門店
実際に経験してみないと分からないこと。 しかし10数年前から哲学に興味
を持ち読み続けてから、その感覚が薄れてしまった。特にカントを知り、
何度も読み込むうち、霊の正体が理屈で分かりかけてきた。私はカレーを食べる
と汗が人一倍出る。そのためカレーをイメージしただけで汗が出たり、カレーの
臭いさえしてくる。これは、嗅覚がカレーの言葉に刺激されるからである。
それと、あなたが見える幽霊に似ている。そこに幽霊がいるのではなく、
貴方の中にある幽霊の刷り込みの感覚が働くためである。 それが分かると、
シックス・センスは、その入り口で遮断される。人間の脳は、生物が20億年
かけた生命の歴史が刻まれている。 霊も、その類である。》であった。
霊に関しては、そんな簡単に言い切れるものではない。過去を振り返ると
分かることだが、我々は共同幻想の中にある。人生は幻想の中で浮遊していて
いるだけ。見える人には見えて、見えない人には見えない。そう見えるも
脳の悪戯? ふと考えついたのが「目覚めた状態で見える夢」という言葉。
そうすると、やはり幻覚、幻想になる。 カラオケスナックは、酒で脳を麻痺
させ、映像と歌謡曲で幻想の世界を作り上げる場所。 映画館も、小説も同じ。
たまたま、二年前の同月同日に「生きる幻想 死ぬ幻想−2」を書いていた。
・・・・・・・
3493, 人生、よもやま話 ‐2
2010年10月18日(月)
幼児の頃は、聞くもの見るもの全てが新鮮で遊びの対象になる。まだ憶えて
いるのが、初めて海を見たときだった。長岡から当時の列車で一時間足らずの
柏崎で見た青い海と、潮風の臭いと、漁船と、近くの箱に入った魚に驚いた。
同じ歳の親戚の男の子が海岸近くにいて、近くの寺に夏ごと泊込みで遊びに
行っていた。 実家では店のビル全部が遊び場であった。また幼稚園に入って
から直ぐに何人かの友人が出来た。その一人が焼鳥屋の息子。
家に行くと焼き鳥の仕込みをしていた親父さんが、イオリで焼いて食べさせて
くれた白モツの味は今でも忘れられない。その店(鳥梅)は、現在もある。
そのうちに、郊外にプールが出来て夏になると通っていた。歳の離れた兄が
5メートルの飛び込み台の上から逆さまに足を持って 吊り下げられた恐怖心
は生々しい。 その頃の楽しみの一つが祭りの屋台である。
その幾つかに家族で行ったり、一人でも行っていた。「チケンサマの祭り」が
多くの屋台や、植木の店がたつ。そこで一軒ずつを一日かけて見るのである。
その中で、金魚と鯉の出店が気に入りだった。父は「贅沢は敵」の明治気質、
三輪車以外の玩具など殆ど買って貰えなかった。 そのため、祭りでも何かを
買う楽しみではなかったが、普段には見れない珍しいものを見るのを楽しみと
していた。 その癖が現在で残っている。 あまり物が欲しいと思わないのは、
そのため。新しいデジタル商品を除けば、見るだけで満足してしまうから
安上がり。骨董品を見るのは好きだが、それを欲しいと思ったことはない。
所詮は倉庫のゴミでしかないことを知っているから。美術館で見れば充分。
そうこう考えると、なるほど「魂の故郷は幼児の頃の思い出」というのは
肯ける。人生は記憶で彩どられている。
10月18日(日)
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