ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5319,不平等を歴史に学ぶ 〜②
『ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する! 』
ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)
この本を読んでいると、SFの世界に足を踏み込んでしまった気持ちになる。
デジタル機器の進歩と、値段の劇的な安さの実現と、その記録も無限大に可能
になり、その分析も可能になってきた背景がある。モバイル携帯など、それらを
可能にする端末を身につけて、超小型のデジカメ、ビデオ、ナビなどで収集し
ネットに記録保存をすればよい。それらは眼鏡や帽子のツバなどに埋め込んで、
モバイル携帯などで自動的に転送されて記録されていく。これに近いのが
モバイル携帯である。 万歩計、GPSがつき、デジカメも、デジビデオも、
ついている。それが記録されるサイトに自動送信すればよい。モバイル携帯の
一回り大きい更に多機能のタブレット式パソコンが爆発的に普及を始めたが、
これに身体に付けたライフログの情報端末が連動すれば、より多くの種類の
記録が可能になる。 何処に出かけたとか、その道筋とか、誰と会ったとか、
何をしたとか、誰と電話をしたとか、血圧はどの位だったとか、何を鑑賞し、
どんな写真を撮ったとか、自動的に記録保存して、牽引をつけ整理し、
パターンごとに振り分ける。電子メール、デジカメ公開サイト、ソーシャル
ネットワーキングサイト、写真や動画の管理サイトなど、ライフログ技術が
利用されている一方、多くの部分がつながりに欠け、バラバラだ。 共通の
ツールセットで統合されてないし、共通のインターフェイスでまとめられてない。
私のHPと著者のライフログの決定的な違いがある。 私はライフブロガーで、
著者は公開を否定している。公開は妨害とかのマイナスが多くなるという。
自分の全てを電子記憶にし、自分の存在を発見し、記録として残すことを目指す。
公開は自ずから正直なことが書けないうえ、制限がでてきてしまう。
ライフブログの多くは露悪趣味になりがちである。
ここで仲間のビル・ゲイツの著書の言葉を引用している。「僕たちはいつか、
自分の目にしたものや耳にしたものすべてを記録できるようになる」と。
その何時かは必ず訪れる。何故なら、電子記憶がことごとく実用化されているから。
その何時かは、誰かが生きている間に訪れる。それが著者自身じゃないという
理由はないという考えに夢中になったのである。
私が、ライフブログを続けてきたのは、10年前に書斎HPを推奨した
久恒啓一の著書の「ブログ=墓場」という言葉である。この本を読んで自分の
Web上の書斎を持ちたいと強く思ったからである。しかし書斎というより
「居間」、兼「応接室」、兼「書斎」になってしまった。 したがって、
私と著者のそれは、根本が違うのである。著者は「人生の「すべて」をデジタル
に記録する! 」であり、私のWEB書斎とは違うのである。 前回に書いた
「ライフブログを続けていたことになる」は、正確にいうと、間違い。
著者は人生の完全記録であるが、私のHPは主観的な毎日の「随想」であり、
思い付きの記録。しかし可能な限り写真や、毎日の読書や日常をデジタル化して
ファイルしていることは、同じである。「ライフログブログ」いや、
「ライフログ」のシステム化されたものが、あるはず。これを読んでいて
デジカメの記録をHPに、より多く載せる気になってきた。
二度とない人生の記録か!
・・・・・・・・
3107,つれづれにー閑話小題
2009年10月07日(水)
* 中川昭一の死について
実際のところは藪の中になるだろうが、状況からみたら誰からみても自死。
父親の死も当初は色いろな説が乱れ飛んだが、自死に落ちついたのは数年
経ってから。あの酩酊?会見で自民党も大ダメージになったことは否めない。
一年前には鳥をも落とす勢いだったが。そして落選、政治の世界は一寸先は闇
とは、よく言ったものである。鈴木宗男も政治的に致命傷を負った。
直接、間接的にしても中川親子の死に大きく影響を与えたことになり、敵に
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10月07日(水)
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