ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5276,閑話小題 〜静かなる恐慌が表立ってきたか
充分生きたので静かに逝きたいが、所詮、無理。
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3804, iPadを買った
2011年08月25日(木)
 タブレットPC、来年春のiPad3が出てから買おうかどうか迷っていたが、
思いたったが吉日で、三日前に購入。去年から八月に買うと決めていたが、
この春先の騒動で、それどころではなかった。ここで気持ちも落ち着いて
きたことと、「iPadバカ」というタイトルの本を読んだのがキッカケとなった。 
そこで実際に手に取ると、成るほど面白い。感想として、これはモバイル携帯
が大きくなったというより、無線のタッチ式タブレットパソコン。
パソコンでゲームをしたことは皆無だが、今度はゲームなどソフトを
ダウンロードして、使いこなしてみたい。タブレット(バインダー)で
持ち運びが簡単で、無線であることが、これまでと違った感覚。ベッドや車内
などで、気楽にウェブ上の新聞やニュース、ブログなどを見ることができる。 
パソコンの前に座り、電源をオン、ヤフーのHPにアクセス・・ 等々を、
タッチだけで出来るので手軽にネット世界に入れる。しかも板状で、何処へ
でも持っていける。 まだ使い始めて数日なので、門前から一歩を踏み込んだ
ばかりだが、これは日常の必需品になる。初期投資がゼロ円、ランニング・
コストが5千円が高いか安いかは、その人によるだろうが、新聞を止めて
少し生活を切り詰めれば何とかなる?少し重いのが気がかり。あとは本を
自動的にめくり、スキャンしてくれる器械でも出現すれば良いが。
新聞・雑誌がタブレット式パソコンなどの端末の出現で淘汰されるといわれて
いるが、実際に手元に使ってみて、その流れになると確信。先日、近くの
ステーキチェーンでランチの写真を撮っていたら、フロアーの女性が来て、
「写真を何に使うのですか?」と、聞かれた。(HPに写真が多く掲載されて
いるので、競合店の視察とも思ってもいないはず)「ブログに、気に入った
ランチを時々載せているので、これも」と答ると、暫くして再びやって来て、
「店長がブログを見たいので、ブログ名を教えてもらえますか」という。 
少し躊躇したが、教えたところ、厨房の辺りから、「出てきた出てきた」
と小さな声。モバイル携帯で早速、何人かで見ているようだった。
そういう時代になったのだ。 薄型タブレット、無線、ツイッターなどで、
誰でも直ぐに情報が繋がると、現実社会の上にネット社会が覆いかぶさる
時代が現実に、こういうカタチでやってきた。 面白い時代である。
 ・・・・・・・
3439, 「うち」と「そと」という、考え方
2010年08月25日(水)
 日本人の考え方として、「うち」と「そと」を区別する。  
「そとの人」に対し「うちの人」の話をするときには、その人に敬称をつけない
のが一般である。元もと「家」の単位をベースにして、その内側を「うち」と
いい、一歩出ると、「そと」とする。家の玄関は鍵をしめて用のある人以外は、
あけない。節分には、「鬼はそと、福はうち」と、豆をまく。 
江戸時代の藩制度の名残で、属している組織の帰属を第一にする考え方は現在も
続いているといってよい。朝礼、社員旅行などは、うちを固める儀式。
日本的な名残。それが人間関係の中でも、考え方として色濃く残っている。 
「この人は、うち側の人で、友人。うち側でない人は、そとの人で、知人」
とする。裏切られたり、騙されると、あっさりと、心の中で、そとの人に分別
してしまう。 面白といえば面白いが。一般的に、家族と、信頼している友人、
そして会社の同僚が「うち」になる。それ以外は「そと」と単純明瞭。
これが個人主義の欧米人からしたら不思議なようだ。欧米は一神教。 
ビック場Sと「私」の関係が「うち」で、その神の前で永遠の愛を誓った連れ添い、
そして、二人の間の子供と「うち」が拡大して、「家庭」が存在する。しかし、
日本の「うち」は、多神教をベースにして「家」に、
まず帰属して、その内側が「うち」で、外側が「そと」になる。 
私自身を振り返ると、この二分法で知人、友人、同僚を振り分けていた。

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08月25日(火)
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