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堀井On-Line
by horii86
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■5268,人生を愛する気高さを持つ  〜ニーチェ「超」入門〜
 全てが新鮮で、明るく光ってみえていた。時代は1967年、頂上に近づいていた。
・40年前=金沢の‘いとはん’(衣料スーパーのチェーン)を辞めて実家に
 帰ってきて、千葉の千城台ビルの計画に入っていた。父は末期ガンで
 東京女子医大で手術後、退院した父親と、計画を進めていた。 父は、医者の
 宣言通りに手術の一年後に亡くなった。死期が分かっている父と事業経験の
 伝達を一年がかりで始めて二ヶ月目に入っていた。将来に向けた明るさと、
 死に直面した父親の苦悩の狭間で、真近で人生と事業の原点を学んでいた。
 翌年、石油ショックが起き、最悪の出だしになった。
・35年前=長岡の大手通の四角にある実家の衣料量販店の店長で、4歳の頃の
 できた古ビルの建て替え工事の計画に没頭していた。引継いだ店も順調に推移、
 商売が面白く、身体が浮いているように動いていた。 一種の躁状態で、怖い
 ものなし、目は血走り、何かに取り付かれているようだった。 衣料は
 一シーズンごとに完結する博打的要素が強い。そのコツを掴むと、面白い。
 30年前は次回にするが、振り返ると刺激的で、恵まれていた背景があった。
・・・・・・
3796, 「役に立つ」とは?
2011年08月17日(水)
  * 「役に立つ、立たない」を判断基準にしてないか?
 私たちは、何時の間に、役に立つか、役に立たないか、で物事を判断している。
その是非は色いろあるが・・しかし経験則で、我われは役に立つ立たないは結果
でしかないことに気づいている。教養は、その最たるもの。教養を役立てるために
身につける人はいない。これは目的でも手段でもなく、人間性の素養として積み
上げること、そのことに意味(価値)がある。哲学などは、目先、役に立たない。
しかし自分の頭で考え、判断し、その結果を積み上げていくのが人生である。 
それを放棄し、目先の利益になるかどうかで判断したり、直ぐに手軽な身近な
人の意見に従って判断、決断をしてしまい、重大なミスをする。
その辺のところを、今回の変動の中で、しっかりと見せてもらった。
(実は、その最たるものが自分?) 〜 哲学者の池田昌子は、著書の中で、
鋭く指摘している。(「メタフィジカル・パンチ」)〜
【「学者」というと、役にたたないことをする人という自嘲気味な言葉が風潮に
なっている。「学問をするところ」であったはずの大学という場所が、レジャー
ランドか、就職予備校に変わった世の流れに呼応しているのだろう。「学問」
すなわち「役に立たないこと」、「学者」すなわち「役立たないことをする人」、
そういう等式が、人々の頭の中に、しっかりとできあがっているようにみえる。 
・・(中略) ところでこの「役に立つ」ということの意味なのだが、科学理論
に対する科学技術の関係に明らかなように、生活と生存に直接に関係するものの
ことを人は「役立つ」と言う。相対性理論は役に立たないが宇宙開発は役に立つ。
解剖学は役に立たないが、医療技術は役に立つ。とはいえ、それぞれ前者あって
の後者なのだから、この御時世、総じて理科は文科よりは旗色がいい。
文科、この無用の長物、経済学者が金持でないことが学者が無用であることの
最たる証拠だと、妙な理屈を言った友人がいるが、それなら中世の英文法に
基づくシェークスピア解釈を一生の仕事にしている学者はどうなる。
古代バビロニアの懊形文字の読解に全生涯を賭けている学者の立場はどうなる。
 ましてや哲学、哲学科。外国語に事寄せることもできない、この学科を選ぶ
ことは就職を捨てることだ、と私の頃でも聞いていた。が、そういったことが
どういったこととかを考えることこそ先決であるはずだ、という理屈は、
私にとってあまりに自明なことだったので、考えるために哲学科を選ぶことに
迷いを覚えるはずもなかった。まあこのあたりが、どうも普通の人の感覚から
ずれてきてしまうその核心部ではあるのだけれど。その生活と生存に直接に関係
するという意味で、「最も役に立たない」と思われている哲学という学問を、

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08月17日(月)
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