ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5247,他諺の空似 〜ことわざ人類学 〜④
あきらかにスピーゲルマソはブラッド・と同じ技法 ーつまり「別の自己」が
内気を克服して自分を表現するがままに任せる方法を用いた。そして結果は、
多くの点で似ていた。このシリーズの第四巻『騎士』(「一九八二年)のなかで」
スピーゲルマンはきわめて重要なことを観察している。すなわち、能動的想像
を実行するのに成功すると、「共時的な事件が規則的に起こり、きわめて
神秘的な方法で世界とかかわりあえる」ことを観察した。起こることは、
内部的な仕事によって世界との関係がともかく変わることだと、
スピーゲルマンは言っている。それから彼は、雨ごい師の重要な話
ーもともとはリヒアルト・ヴィルヘルムによってユソグに告げられた話。
< ヴィルへルムは、旱害に苦しんでいる遠い中国の村にいた。雨ごい師が
遠い村から招かれた。彼は村はずれにある一軒の小屋を所望し、三日間そこ
から外に出なかった。 その後土砂ぶりの雨になり、ついで雪が降った。
これは一年のその時季には前例のないことだった。・・ヴィルヘルムは老人に、
「あなたはどういうふうにして雨を降らしたのか」と聞いた。
老人は、自分がそれをしたのではないと答えた。「私はあらゆることがきちん
としている国からやって来ました。雨が降るぺきときには雨が降り、晴れが
必要になれば晴れます。人々自身がきちんとしています。ところが、この村の
人々はみな、道からはずれていますし、自分自身からもはずれています。
私はこの村に到着してすぐに、それにうつり(感染し)ました。それで、私は
一人になれるように、村はずれの一軒の小屋を所望したのです。私がもう一度
道にかなうようになったとき、雨が降りました」と。「道と自分自身にかなう」
と老人が言っていることは、ユングが個性化と言っているもの。脳の二つの
半分の間に適切な交通があった。> 雨が降らない村の人々は、左脳の自我で
支配されていた。左脳の自我は、もろもろの問題に過剰に反応する傾向にある。
・・アメリカのハワード・ミラーは、人間には既に、ある形の能動的
想像を持っているとミラーがいっているのは実際には、右脳は
オーケストラ、左脳が指揮者だということ。】
▼ 連続シリーズの夢は一種の能動的想像になるのだろうか。
人は夢日記をつけると、つけないとでは、大きな違いが出る。夢は、潜在意識
を覗く手立て。それを記録にして書き残す習慣は、考えてみれば自分を知る一番
の方法である。父親の初七日に、父のベッドでみた夢(以前にも書いたが)。
父親の魂が私に入れ替わってしまった夢である。父がガン末期で、死の恐怖と
闘っていた時に、傍にいて、それが直に伝わってきていた。そして初七日に、
その恐怖心が、そのまま夢で、体感したのである。問題は、それから。ハッと
して目覚めたとき、父親の自分が、私として存在している奇妙な実感である。
それから、私に10年以上、変な感覚が身についてしまったのである。
今から思うと、その感覚で、もっと見るべき世界を見てきた方が良かったが、
それは今だから言えること。自分の内なる沼には、底知れぬ深さがある。
・・・・・・・
3410, この国の終わり −6
2010年07月27日(火)
* 日本の余命はあと僅かである (P・107)
どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに
超えていた。彼らの悪辣さの度合いは、日本人の常識ではとてもついていけない。
そのため私たちは、世界を覆っている真実に対し、考えることを放棄し信じる
ことをやめる。 福沢諭吉は彼の『文明論之概略』の中で、開国を迫る列強の
真意を次のように要約している。
≪ 即ち彼ら毛唐(=「外国人」の蔑称)の本音は、要するに「自分たちと
商売をせよ、さもなくば殺す、 と言っているのだ」と看破。その性温厚に
して軟弱な江戸時代までの日本人にとって、この考え方は常識をはるかに
はずれた奇想天外の暴言であり、だからこそ福沢もわざわざその事実を本の中で
コメントしているのだ。 しかし彼らにとっては常識も常識、至極まっとうな
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07月27日(月)
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