ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5229,閑話小題 〜中国経済が変と言われてきたが、ついに?
* 疑似民主主義の第五徴候群とは、エリート否定、大衆迎合的な性格である。
真の民主主義はエリートやリーダーシップを否定するものでないばかりか、
それに重い責任を課するものである。専門家を否定し、リーダーシップを
否定するなら、その結果として、どうしようもない衆愚政治の泥沼に落ち
込んでいくほかない。
* 疑似民主主義の第六徴候群とは、コスト的観点の欠如である。
疑似民主主義は、その権利主張の一面的性格、提案能力の欠如、
大衆迎合主義などから、大衆の気に入りそうなことを並べたてるだけで、
その制約条件を覆いかくそうとする。こうした偽善的なポーズで、大衆の
人気取りをしている限り、国家は破産し、社会は滅亡するしかないのである。】
▼ 以上の懸念のとおり、これらの症候に冒された隠れ社会主義政党が与党に
なった結果、収入の二倍の国家予算を組み、動きが取れない事態をつくっても
平然としている。それも国民が擬似民主主義の徴候群におかされた結果だが、
それにしても酷い。
・・・・・・・
3757, 下流の宴
2011年07月09日(土)
NHKで「下流の宴」という面白そうな連続ドラマをあったが、見るほどで
ないと見過ごしていた。しかし、先日の夕方に二回分の再放送を見て、そのシビア
の内容に苦笑してしまった。エリート・サラリーマンの母親(医者の娘)の息子が
中卒でフリーター。 何とか受験校に心を入れ替えてチャレンジさせいのに、その
彼女が、母親の目には下流家庭の娘。その娘に、「私は医者の娘、旦那も一流会社
勤め。貴女のような家庭とは身分が違うのです」と言い放つ。しかし、その旦那は、
リストラ対象で自分たちも下流に?なろうとしている、で・・・侮辱を受けた娘は、
「私が医大に入学すれば、結婚を許してくれますか?」というところで、終わった。
しかし、これはあくまでドラマでしかない。小中学校の基礎が出来てない人が、
猛勉強で今さら! が現実。私の一番上の姉が、その母親に考え方がそっくり。
婿取り娘で、長岡社交界が彼女の庭。彼女が意識している庭の住人は、上流だとは
当時も、現在も私には思えないから喜劇にしかみえない。もちろん、その人たちは
上・中流など全く意識にはない。自分のことを一番知っている? しかし学歴と
学力のない姉は付き合いを、その庭の人たちに絞り、見栄に全てを入れていた。
(字数の関係上カット、2012年07月09日)
・・・・・・・
3392, 911・考えない・日本人 ー8
2010年07月09日(金)
「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
著者の哲学についての解釈が書いてある。自身の言葉だから、納得する。
特に「哲学することの要点は、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見」
は、分かりやすい。 = 哲学とは = (P−217)
* 科学のように進歩発展があるものではなく、その確実性を求める
ものでもなく、人間が共に語り合って確認しあう過程のこと。
* 哲学とは、人間が「目覚める」ための試みである。
* どんな人間でも、自分が人間であることを意識し、自分の運命や
経験を意識すれば、誰でも参加できるものが哲学。
* 哲学は、誰でも、人間である限り手にすることができるものである。
ただし、他人に教えてもらって覚えるものではなく、
自分自身でトライするものである。
* 哲学は真理を自分のものにすることが目的ではなく、
それを求める過程のことである。
* 哲学は人間同士の交わりである。
* 哲学は自分が人間となるために現実と関係を持ち、その現実に集中すること。
* 哲学の根源は、人間が森羅万象に持つ驚きと疑いから発するものである。
徹底的な疑いが心の中に起きていない限り、哲学することは不可能である。
* 哲学の起源はそれぞれの人間が、自分自身の弱さと無力さを認めることで
あった。その自分のカの及ばないことを無関係だと思い、無関心に
なるならば、人間は哲学を失い、非人間化する。
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07月09日(木)
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