ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5222,閑話小題 〜中学校の古希会 〜②
【 ● 怒りに羨望が絡むと「憎しみ」に変わる  ーP・118
「怒り」と「憎しみ」の間には少し差があります。怒りは、相手に欲しいものを
おねだりしてももらえないというときの感情です。まだ相手の愛を求めています。
赤ちゃんが「オギャー」と泣いて、お母さんのおっぱいの必要を示す。
これを「怒り(アンガー」と言います。そこに「羨望」が入ってきます。
これは相手が持っているものを、本来自身が持つべき、とその人から取り
上げたくなる感情。「エンヴィー」という言葉の由来は、「横目で睨む」です。
つまり、人の持ち物を睨む。それを取り上げたいという感情。怒りに羨望が
絡んでくると「憎しみ」になります。「嫉妬」というのは男女の関係で、
自分の持っている人をとられるのでないかという焦燥、怒り、不安の複合した
感情です。 取られることを恐る感情、取ろうとするのも憎む感情です。
ここにも「憎しみ」があるわけですが、男女関係が絡まないエンヴィーとは
区別されます。 嫉妬は人聞関係を破壊しません。むしろ人間関係を破壊される
ことを恐れる感情ですが、憎しみ、憎悪は人間関係の破壊に結びつきます。
もう一度、赤ちゃんとお母さんの関係で考えてみると「おっばいが欲しいのに
もらえない」というときに発生する感情はアンガー。お母さんはいいもの
(おっぱい)を持っていて、弟だの妹だのがどんどん出てくるお母さんが持って
いるものをみんな自分のものにしたいと思ったら、これはエンヴィーになります。
 ですから、愛情というのは考えてみるとかなり厄介なもので、一つ間違えると
怒りに、もっと間違えると憎悪に転換します。そういう「関係」に身を置くのが
厄介だと思うと、逃亡心が生まれてくる。こんな面倒な関係からは離れたくなる
こともあるでしょう。昔の東洋人の思想の中には、そういう面倒な関係が嫌だ
というものがありますね。 いろいろな欲望や感情が渦まいた俗世から離れて、
仙人のように淡々と生きる生き方に憧れるというものです。それをやるとなると、
どこかで線を引いて、人間関係からリタイアすることを考えなければなりません。
あれこれ面倒なことがあるうちは、山の中で仙人のように暮らすことに憧れる
かもしれませんが、いざ本当に離れたところで一人暮らすとなったら、
今度は記憶の中の人間関係にわずらわされることになる。 
人間は人の中でしか生きるしかないのです。】
▼ 大人数の兄姉の中で、私が両親の住んでいた実家に住みついて家屋敷
 などを引き継いだため多くの葛藤があったのが世の倣い。「怒り」×「羨望」
=「憎しみ」は肌で嫌というほど感じ取ってきた。私も家内も愛情を限りなく
受けてきたが、逆の与え方は上手くない。「自分」というものは、自分一人の
閉鎖系で成り立っているより、人との「関係」として成り立っていると著者は強調。
 「愛」というのは、そういう関係性を言っている。 だから、年齢を重ねるほど
人間関係は丁寧に扱わなければ。「ピーク、エンドの法則」がある。 
記憶は、ピーク時と、終わりが引き立ってくる。その数パーセントで、8割
以上の記憶を決まる。ドロドロの経験が少ない人は、その辺の構えが甘くなる。 
心の奥の沼に大切な人生経験をマイナーにして落とし込んでしまう。
・・・・・・・・
3385, 911・考えない・日本人  ー3
2010年07月02日(金)
            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 ー以下の箇所は、欧米の一神教と無宗教の日本の差でもあるー
 * 生存に必要な要素、それは悪 (P・62)
≪ 男のいない日本に、「男らしさ、勇気」があるわけがない。 
 白人の根本的な善悪の問題は道徳科目ではない。哲学科目だ。当然、日本にある
わけがない。 日本の悪は改心と謝罪の対象である。白人の悪は復讐の対象である。 
根本的に異質だ。人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。
悪を身につけない限り、生きられない。人間を悪から解放するものは、より強力な
悪しかない。 悪がないことは善か? ノー。それは無知であり、バカだ。 

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07月02日(木)
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