ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5213,閑話小題 〜私の高度成長時代
▼<「私は狂っている」ということを「狂っている主体」が言うことはできない>
は、「嘘つきのパラドックス」に似ている。エピメニデスという哲学者が
「クレタ人は嘘つき だ」と言った、話である。困ったことにエピメニデス自身が
クレタ島の出身。だとするとクレタ人が嘘付きだというのならエピメニデスも
嘘つきなのだろうか。だとすると「クレタ人は嘘つきだ」という言葉自体も
嘘なのだろうか。だとするとクレタ人は嘘つきではないのだろうか。では
エピメニデスの言ったことは正しいのだろうか?ではクレタ人は嘘つきだろうか?
という哲学問答である。人生を振り返ると、「私は狂っていた、ゆえに私の人生、
ないがごとき」が、実は人生の実相と思い悩んでいる。狂っていたなずと、
狂っていれば言えない。悩みなど、そんなもの!ちっぽけな人生、何を悩む?
しかし振り返れば狂っているとしか思えない。
これは私だけではなく万人にいえるが・・・
・・・・・・・
3741, パチンコ店が何故、廃止にならないのか ?
2011年06月23日(木)
指摘されて気づいたことだが、日本でのパチンコの容認である。その存在を
誰も不思議に思わない日本の戦後体質と世論。この疑問に至ったのは、新聞広告で
「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」若宮 健 (著) を知り、アマゾンで
概要を読んで、驚き同調したため。この国は、政界、警察、広告、メディアが
パチンコ業界と癒着?関係になっている実態がある。
ーまずは、アマゾンの著者からの内容紹介ー
パチンコによる被害が叫ばれて久しい。依存症でサラ金、闇金の借金まみれに
なった末に家庭崩壊、自殺という例は跡を絶たず、炎暑下の赤ちゃんの車中置き
去り死亡事故も相変わらずである。著者は長年、パチンコ依存症の問題を
取材してきたが、2006年暮れ、旅行した韓国で、パチンコが全廃され、すべての
店舗が姿を消しているのを目にした。ところが驚いたことは、日本に帰ってきて
新聞雑誌をみても、そのことを報じている新聞は皆無で、そのことを知っている
識者も誰もいなかったことである。(字数制限のためカット2012年6月23日)
・・・・・・・
3376, 生涯に直面する四つの不条理
2010年06月23日(水)
「生き方の不平等」 白波瀬佐和子著
* 生き方は個人の選択だが、そもそも最初から立つ位置が異なるー
毎日新聞の書評で読んで、ネットで詳細を調べたが、考えさせられる内容。
ー 以下はネットで調べた概要 ー
著者は、人の一生を四つの段階に分け、それぞれの中心問題をとりあげている。
一、どんな家に生れるか。人は人生のはじめに大きな不条理を背負っている。
これは厳然たる事実である。市場主義者は機会の均等を前提として社会の
あり方を考える。だが現実は、その出発点が不平等なのである。
子供の幸せは親の幸せ。せめて子供だけにはましな暮らしをさせたいとは
教育に力を注いだもの。世代を超えた人生の帳尻の合わせ方である。
高度経済成長期には熱心な教育ブームが広がって、1970年代の出産率は2.13で、
夫婦に子供二人が典型的な家庭であった。総中流生活といわれたものの、実は
じわじわと階層化が進行していた。日本の母子家庭の貧困率は2/3ときわめて
高い者たちが直面する不条理である。
二、次は、若者たちが直面する不条理。社会に出るときの背景に恵まれたか
どうかである。青少年から大人へ、学校から社会へ、扶養される者から
職業人へ、人生への新しいステージへの移行期が恵まれているかどうか。
そこに、例えば九〇年代のような長期不況がぶつかると、正規雇用者に
なれない人がふえる。深刻なのはそれが長く、時に一生その人につきまとう
ことである。それが、たまたまの負け組、たまたまの勝ち組をつくっていく。
著者はこの「たまたま」の中に、自己責任を強調した小泉的発想を批判する。
三、三番目の働く場の不条理は、男女の差が中心である。高度経済成長の時代
には生活の場を女性が一手に引き受けて、生産の場を稼ぎ主の男性が担うという
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06月23日(火)
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