ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5209,閑話小題 〜何気ない会話の中で
の雑然としたホームルームで、教壇に立つ担任の森口悠子(松たか子)が静かに
語り出す。「わたしの娘が死にました。警察は事故死と判断しましたが、娘は
事故で死んだのではなくこのクラスの生徒に殺されたのです」教室内は一瞬に
して静まりかえり、この衝撃的な告白から物語は始まっていく……。
その一人の犯人の少年は、モンスターママによる幼児の頃の執拗な教育で、
歪んだ手のつけられない少年になっていた。】
▼ なかなか面白いストーリーである。現在の小中学校の学級崩壊も背景にある。
どこの家庭にも、多かれ少なかれある問題。両親の関係が、そのまま子供形成
に影響するのは親なら身に憶えがあるはず。その極端なケースから、極端に歪んだ
子供が育ってくる。子供を殺された松たか子役の恨みと怨念は危機迫るものがある。
この競争社会の時代、子供の基礎能力は必要だが、ついて行けず、心の中で
大きな歪みが出てくる。そこに自分の若かりし頃を振り返れば見えてくる。
常に黒い影に終われ、何処にいても落ち着かず、他に行けば何かがあるはずと
焦っていた自己不一致の日々。それが若さというものだが、それが家庭崩壊や、
自己崩壊を生むことになる。 特に「ゆとり教育」が実施された時代に育った
世代が親になっている現在、その子供たちの荒廃は、社会問題になってくる。
更に携帯電話など情報端末が子供たち間に普及した中で、親も含めた大人たちは、
その対応が分からない。親からして、「自分の居場所」が見つからないのだから、
子供たちは情報の洪水の中で、得体のしれない化け物になっていく。
現在問題になっている、ニート世代(20〜40歳)は、家庭からも、会社
からも、社会的訓練がなされてないため、居場所がない。ある意味で、アメリカ
による日本属国化政策の完成が現在の日本である。我々は、その恐ろしい現状を
目撃していることになる。他人ごとでない、自分自身が、その集約化した人生
だったと言えなくはない。そこまで悲観的に見ることもないが、現在の日本の
政治の有り様を見ていると、その集約が、もしか自分に当てはまるのでは?と、
思ってしまう。最後はリーマンショックでトドメか!
・・・・・・・
3372, 「めんどうくさい」が不幸のはじまり!
2010年06月19日(土)
しあわせを感じるには「技術」がいる ー2
ーしあわせを感じる「技術」ー東洋経済新潮社・しあわせ研究プロジェクト編
* 不幸になりたがる人たちからのヒント
どうも年齢のせいか何かやろうとすると「めんどうくさい」が先に立ってきた。
先日ーしあわせを感じる「技術」ーを図書館から借りてきた。 多くの人が
「しあわせ」について書いている中に、精神科医の春日武彦が、「不幸になり
たがる人たちからのヒント」で「めんどうくさい、が不幸のはじまり!」に、
ハッとした。そこで「人は基本的に現状を大きく変化させることを望まない。
たとえ不幸が持続することが火を見るよりも明らかであったとしても、現状維持
を選ぶ人の方が多数派」という。その根底にあるのが「めんどうくささ」だと
したら、何とも人間は情けなく哀しい存在である。これは、人間は「低位安定」
を心奥で求めている結果ではないかと。「低位安定」から、どうすれば抜け出す
ことができるか? これからの脱却は「めんどうくさい」との戦でもある。
著者は陳腐な結論と断わって、結局「早寝早起きと整理整頓」に、つきると・・
まずは暮らしを整え、生活を律していくこと。それができない者には、現状を
変えようといこうとする力など生まれない。不幸を願うものはいないが、
不幸へと続くレールから外れようとしないものは多い。現状維持の方が楽に
思えるからだ。その「めんどうくさい」を突き詰めていくと、満たされてない
何かが逆に新しい事態に直面するのを避けているのである。 私は不幸系の人は
身辺には寄せない。 何ともいえない匂いがある。「めんどうくさい病」の一つに
「自律神経失調症」という病がある。 問題にぶつかると後ろ向きになる。
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06月19日(金)
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