ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか
それで喧嘩している同士はしぶしぶ矛先を納める。立腹しつつも、どこか安堵
した表情を浮かべながら。そんなふうに心の機微を読み取り、また最後の
最後に腰を上げる状況判断の確かさと、人生経験を重ねてきていることへの
万人の敬意とかが、その場を収めるのである。
・・ 六十歳を超えると急に「余りにも下世話な」妄想が突出するケースが
散見されることは、既に第5章で触れた。その背景には、若さから遠ざかった
ことへの無念さとともに、年寄りであることを受け入れるに足る価値感が高齢者
に与えられていないことがあるだろう。暴走老人などというものが出現したのも、
老人であるという無力感や孤独感のみならず、年を重ねたという事実を劣化と
いった文脈でしか認識しない世間への恨みが大きかったからだろう。
年長だからとそのことだけで威張るのも、あるいは落胆するのも問題だけれど、
年長者の顔を立てるといった世の中の「知恵」が通用しなくなっている。
その辺りの軋みを是正するには、もはや老人が年寄りであることを意識的に
「演じる」ことから再スタートするしかないのではないか。世の中が認めて
くれるかどうかはさて置き、年寄りというキャラクターを、役割を、もっと意識
してみてはどうなのか。そのキャラクターが現今においては「カッコ悪い」と
いった了解があるから、年寄りであることを皆が演じたがらない。若く見える
意外性ばかりを狙いたがる。 団塊の世代がこれから老人へと突入していく。
どのような老人像を頭の隅に思い描きつつ年寄りになっていくのか。ジーンズや
Tシャツが少なくとも外見的に旧来の老人とは違ったイメージをもたらすだろうし、
家族のあり方も変化してきているのだから、過去の年寄りの姿がそのまま手本には
なるまい。還暦に赤烏帽子と赤いちゃんちゃんこを贈られていた頃とは時代が違う。≫
▼「あえて自分らしい年寄りを演じてみることで、配役として全うしてみる
ことを楽しんでみればベスト、人生など所詮は座興に過ぎないのだから」という
著者の言葉が説得力がある。清濁併せ飲む老人を演じるのも面白いが・・
どうも、クソ真面目は? 年寄りは、目立たないことだ。団塊の世代の年寄が、
目立ち始めてきた。だから海外旅行者の数が不景気にかかわらず減らない。
彼らは「皆んなで渡れば怖くない世代」である。兄弟、友人も皆んな
年寄りになっていくため、無力感や孤独感は少なくて済む。
・・・・・・・
3723, ジャズについて −15
2011年06月05日(日)
* 日本のジャズはどうなっている? ー「音楽の本」三枝成彰著より
【 二十世紀初頭にアメリカに生まれたジャズが日本に入ってきたのは、
明治から大正に入り、第一次世界大戦が勃発した頃だ。当時は社交ダンスが
華やかなりし時期で、ダンス音楽として輸入されたのである。一九三〇年代にも
なると、東京を中心にダンス・ホールがお目見えし、日本人によるバンド演奏も
行なわれるなど、第一次ジャズ・ブームが起こる。わが国最初の本格的なジャズ
メンとの評価を得るトランペッター南里文雄が活躍を始めたのも、そんな時代。
しかし、ジャズが本当に日本にもたらされたのは、第二次世界大戦後の進駐軍
占領時代といっていいだろう。それというのも、戦争が激しくなる一九四〇年
前後には、ジャズメンの主な活躍の場であったダンス・ホールは閉鎖され、
やがては「敵性音楽」との理由から演奏そのものが禁止されるなど、ジャズの
空白期間に入るからである。戦後のジャズ。それは、進駐軍として駐留する兵隊
の娯楽として、NHKがジャズなどアメリカのポピュラー音楽を放送したことを
直接のきっかけとする。やがては慰安のため進駐軍のキャンプを巡ってジャズを
演奏する日本人も出現。同時に、日本人の心もとらえ、五〇年代に入って
ルイ・アームストロングやベニー・グッドマン、デューク・エリントンなど
本場の巨匠たちが来日するにいたって、第二次ブームとも呼ぶべき様相を呈した
のである。もちろん・進駐軍とともにもたらされたジャズは、アメリカと同じ
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06月05日(金)
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