ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5189,閑話小題 〜父親の42周期に
日々の生活を節制するのがベースで、贅沢、慢心、虚栄を忌み嫌い、清潔、
潔癖の明治人の特徴を、そのまま受け継いでいた。朝5時に起き、仏壇で祈り、
新聞を隅々まで読むのが日常だった。その辺は私も同じで、これは家の文化
(ハビトス)か。 また人に妥協するのが大嫌いで、親戚以外は、株屋ぐらい
しか周辺に近づけなかった。酒は年末年始に少し飲むだけで、外食は贅沢と
最小限度しかとらなかった。(当時は、それが一般だったが)
年に一度の法事と、大晦日の年越しの家族と従業員との宴会が晴れのときで、
その楽しかったことが、そのまま父の思い出となった。 恐らく自分が死ぬ
ときのイメージは両親の手に引かれ、光の中に消えていく光景になるだろう。
毎年、父のことを書き続けた文章を読み返すと、書き残す不思議を思い知る。
書くことは、その時点では心の記録だが、時間の経過とともに魂の記録になる。
人間の脳の思いなどアテにならないし、思い出もそうだ。しかし書き出し、
それを重ねることで、魂に熟成していくのである。音楽家は音楽で、仏像師は
仏像で、作家は小説で、魂の記録として刻印されるのである。
それも宇宙時間からみれば微小のこと。しかし、微小のことでも、
それに乗っている間は人生である。さて、恒例の墓参り!
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2977、父親の37回忌に
2009年05月30日(土)
今日は父親の37回忌。亡くなって、36年になる。命日に何度か父のことを
書いたが(後でコピー)、テーマにすることが供養になると思い書いてきた。
父親のことを考えると、自分とは何だろうという哲学的な問いになる。
私の場合は特に父親の影響が大きかった。誰でもファザコン、マザコンだが、
父が43歳の時に産まれたこともあった。そのために幼児から少年期の記憶に、
父の所業が記憶で多く残っている。 母親は仕事の前線に立っていたので、
父が何時も私を連れて街の何処かにつれ歩いていた。その為に父が亡くなるまで、
その影響は大きく、27歳で亡くなった時に初めて精神的に独立をすることが出来た。
(同時に結婚をしたこともあるが) 父が私の年齢(63歳)の時に、私が20歳
だったが、その時の父は元気溌剌だった。時代は昭和41年(1966年)、高度経済
成長期真っ盛りの時期。 その時代と現在を比べると、その段差には大きい。
まだ日本中が坂の上の雲を見つめて急成長の頂上にいた。父は明治38年生まれで
家を中心に常に考えていた。父の頭の中は戦前、戦中、戦後の経験が重なって
おり、そのことを事あるごとに話をしていた。 特に長岡の戦災体験は生生しく
残っていたようだ。また戦後の時代の流れの激しさに焦りを感じていた。
ソ連も、昭和40年代が絶頂期で、20年あまりで消滅するなど、考えられなかった。
また、アメリカもその後20年もしないうちに、壊滅的経済破綻になるとは・・
父を思い出すというより、父の視線で世の中の変化を見ている自分がいる。
命日に父のことを書いた文章を読んでいると、父の影響が大きく自分に影響して
いることがわかる。その枠を破壊できなかったのか、それとも、それはそれで
私らしさで、そのまま結構なのか? いや、出来の悪い1・2代目でしかない。
しかし自分の心に誇れる父を持てたことは幸せである。それに引き換え私と
きたらまったく? 今さら、どうもこうもない。 以前、父の魂が自分の魂と
合体したような不思議な夢について書いたことを思い出した。その辺のことを
書いた文章をコピーしてみた。 さて墓参りである。
これだけ毎年のように書いていれば、下手な法事より供養になるだろう。
▼ H0407霊的体験
二十年近く前になるが、父の死後四九日の終わるまで何度か不思議な体験を
してみた。死後一週間後位に妙な夢をみた。私自身父の気持になり
“死にたくない。もっと生きたい、生きたい”という“念”になった夢。
そして夢よりさめた時の妙な気持。私自身父になってしまった。いや私自身
(父自身)生きている!という妙な不思議な感覚である。夢の“念”は父その
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05月30日(土)
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