ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5169,閑話小題 〜どっちに失礼?
【ショーペンハウアーが言ったように、そうした老年の実りが熟するためには、
 まず何よりも、人は、健康と生計の維持に、早くから留意して、みずからの
人生設計を築き上げる努力を怠ってはならない。生計もままならない病気がちの
老年は悲惨の一語に尽きるから。そうではなしに、比較的健康に恵まれ、また、
なにほどかの金銭を蓄えた老年は、少なくとも社会生活全体の安寧が保たれた
条件下では、むしろ静かで、平穏な人生の実りの時期になるであろうと、
ショーペンハゥアーとともに人は言うことができるかもしれない。生の本能の
激しい渇望も静まり、社会的責務もいちおう果たし終えた、比較的自由な老年は、
自己を振り返り、世界を見つめ、知性の働きを純化させて、洞察と実りを結び
うる最良の時期だと、たしかに言えるであろう。しかし、そのためには、人生に
対する過剰な期待や野心に惑乱された、思い込みの激しい混乱した想念から解き
放たれて、冷静にこの世の営為をその真相において見つめる知恵の魂が熟成して
こねぽならない。ショーペンハウアーが言ったように、人生の表側だけでなく、
裏側もすっかりよく眼のなかに入った老境においてこそ、初めて、人生の虚妄と
空しさが会得され、所詮はいかなる人生も五十歩百歩であるという事態が得心
されてくる。 そうした人生の有限性への徹底した悟りが、老境の平静さを
築く基底とならねぼならない。実際、誰しも、老年とともに、そうした悲愁に
みちた諦念を学び取るものであろう。
 老年になって、やっと人は、自分の人生を変えた大きな出来事が、そっと
気づかないうちに自分に忍寄ってきて、自分を支配するに至ったことを理解する。 
自分の周りの人々が、ほんとうは何者であったかが、ようやく分かるのは、
老年になってからである。 老境に至って、ようやく、自分の歩いてきた人生が、
その意味と射程において、誇張も、卑下もなく、ありのままに見つめられ、
自己の人生の限界と特性、その意味と無意味とが、過不足なく凝視される萌芽
が生い育ってくる。この世の中の名誉や名声や栄誉などが当てにならず、他者
の身勝手な憶測に依存した評価に過ぎないことも、すべて見抜かれている。】
▼ 新潟で事業を事業を立ち上げた時、近隣の土地のオーナーの老人に建築確認
 の判を貰うため交渉をしたときに、心底、驚いた。優位の立場を利用して、
自分の人生の鬱憤を晴らしている姿が老醜そのものに思えた。これは沼垂界隈の
特性と当時は思ったが、最近分かったのは、実は老人全般が持っている性癖と
いうことである。内面を見つめる力のない人は、その鬱憤を外に向けるしかない。
それを長年かけて培ってきたため、心の底には、怒りと憤りが底なしの泥沼の
ように深く蓄積され毒ガスのように湧き出ている。そのガスの対象を次々と
探し出し、他虐、そして自虐として爆発を始める。それが老醜である。 
老年は、その道を一歩ずつ歩いていると割り切った方が良い。そうすると、
長生きは、ほどほどということになる。それにしても老醜という奴は、である。
 ・・・・・・
3332, 全然人種が違う「携帯世代」
2010年05月10日(月)
  ー「知の衰退」からいかに脱出するか?ー 大前研一 (著) ー5
  * ぜんぜん違う携帯世代
この7〜8年で、ブログと携帯電話が我われの生活を激変させた。
携帯電話とブログが、これだけの機能を持つとは驚異的といえば驚異的である。
さらに、ツイッターと、iPadなどが爆発的普及を始めようとしている。
第二次大戦後の電話とTVの普及から始った情報革命がデジタル化などで、
人類そのもののあり方を変え始めた。情報端末によって、その世代の性格、
能力まで既定をするほどになっている。で、次は携帯電話世代である。
  ー まずは、その部分を抜粋してみる ー
 ゲーム・キッズに続く世代が、この章の冒頭で述べた、いわゆる
「ケイタイ世代」である。この「ケータイ世代」は、これまでの日本人とは、
また全然人種が違う。この世代の特徴をひとことで言えば、彼らは私たちの

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05月10日(日)
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