ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5164,パレーシア 〜真実を語ること
こうしたキリスト教本能をもつがゆえに、あらゆる格差、階層的なものを破壊する。 
また、《本当に価値があるもの》《偉大なもの》《美しいもの》は貶められ、
《つまらないもの》《新奇なもの》《卑小なもの》が評価されるようになる。
その結果、芸術家気取りのゲテモノ、半可通、あらゆる領域における素人が権力
をもつようになってしまった。テレビの音楽番組では、芸術の対極にあるジャリ
タレが「アーティスト」と呼ばれ、ワイドショーでは有象無象の評論家が専門外
のトピックについて無責任なコメントを垂れ流している。こうした価値の錯乱の
上に成立するのが《B層文化》だ。前回も述べたように《B層》とは平成17年の
郵政選挙の際、内閣府から依頼された広告会社が作った概念で「マスメディアに
踊らされやすい知的弱者、ひいては「近代的諸価値を妄信する層」を指す。 
この《B層》が現在消費者の主流になっている。そこでは大企業のエリートが
マーケティングを駆使し、大量の資本を投入することで《B層》の琴線に触れる
コンテンツを量産している。 ・・ニーチェは言う。「畜群人間は、例外人間や
超人がいだくのとは異なった事物のところで美の価値感情をいだくであろう」  
畜群はまさに《B層》である。真っ当な価値判断ができない人々だ。彼ら《B層》
は、圧倒的な自信の下、自分たちの浅薄な価値観を社会に押し付けようとする。
そして、無知であることに恥じらいをもたず、素人であることに誇りをもつ。
ありとあらゆるプロの領域、職人の領域が侵食され、しまいには素人が社会を
導こうと決心する。これこそニーチェが警鐘を鳴らした近代大衆社会の最終的姿。 
与党政府も素人に陥落されつつある。前防衛相の一川保夫は「(自分は)安全
保障の素人」と誇らしげに語り、続いて防衛相になった田中直紀は素人以前の
「ド素人」だった。 閣僚から地方首長にいたるまで政治家の劣化が急速に
進んだ背景には、《偽装した神=近代イデオロギー》による価値の錯乱という
問題が潜んでいる。
▼ 恐ろしい末期現象に日本は置かれている。その一つにマスコミが流す
 世論調査がある。世論の大方を占めているのがB層の人たち。彼らは質問で、
どのようにも誘導可能。政治のトップ判断の重要事案に、それを使い権力を
駆使する。その背後に、アメリカの巧妙な誘導が見え隠れする。B層が
「近代的諸価値を妄信する層」なら、過っての?私も当然、その層。
この10年、哲学に目覚め少しは盲信から抜けてはきた、しかし森林は
面白かったが・・で、サバンナでは?この蓄群が屯する。
 ・・・・・・・
3692, 自己を見つめる −14
2011年05月05日(木)              
  * 幸福について ー1  「自己を見つめる 」 渡邊二郎 (著)  
【 私たちは、幸福であるとき、その幸福をあまり感じない。不幸になった
 とき、私たちは、初めて、自分に幸福が失われていることを痛感、深く傷つく。 
幸福は、たいていの場合、不幸を介して、その姿を浮かび上がらせてくる
失われた桃源郷である。幸福は、不幸という現実のなかで、初めて見つめられる
幻影、そして追い求められる夢、切なく慕われる理想である。ダンテが歌った
ように、「幸なくて 幸ありし日をしのぶより なほ大いなる 苦患なし」
である。否定的な状況のなかで、肯定的な状況に憧れ、それでいて、その達せ
られない悩みをかこつというのが、人間における幸福と不幸の相貌である。 
幸福と不幸は、離れ難く結びついている。人間は、不幸の現実を直視しながら、
嘆きと悲しみのなかで、幸福を思うのである。望みをもたない人間というものは、
存在しない。 人間であるということは、何らかの願いを胸に抱き、その実現を
希求し、その願望の達成を欣求し、そのために励むということである。何らかの
目的を定め、それに向けた自己拡充において、その可能性から現実性への転換と
具現を冀い、そのために熱い胸を躍らせるというのが、人間であることの根底を
形作っている。してみれば、現在の欠如状態から、いつの日にか将来の充実状態

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05月05日(火)
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