ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[386236hit]
■5150,知の逆転 〜⑧
こうして、人間的振幅や試行錯誤のすべてを受け容れ、また赦すところの、
裏切ることのない、誠実な追憶の魂もしくは心のなかに、それらの歩みの
すべてを銘記し、それらを、過ぎ去りゆくことのない、不滅で、貴重な人間的
経験の全体として、共同でいたわり、保持しようとすることこそが、あらゆる
人間にとっての、最も崇高な、道徳的かつ人格的な相互的責務であると思う。】
▼ 神話は、まさに異境に出て行って、辛苦の中で勝利し帰還する物語が原型
である。それは、自分の魂にとっても同じこと。異質なものとの出会い、
そして邂逅のプロセスを通して自己が深まり、広がっていく。ここでも「異境に
出て、他流試合に揉まれ、異他的なものとの交流もしくは対決を経巡ってのみ
初めて、私たちの人格は、大きく実る」現実の世間的価値観の中では、人格は
大きく実らないことは周辺を見れば良く分かること。更にいえば、自己とは
異質なものとの出会いと邂逅の中にこそ存在する。
・・・・・・・・
3313, 対話について
2010年04月21日(水)
「プラトンー哲学者とは何か」 納富信留著
* 対話について
プラトンの「対話篇」を分かりやすく噛み砕いてある内容である。
以下は、そのエッセンスの部分である。プラトンと、ソクラテスの立場を
簡潔に分かりやすく述べている。 ーまずは、その部分から (p28)
ソクラテスはつねに「対話」において人々と語り、プラトンはそれを「対話篇」
として書いた。ソクラテスとプラトンとの出会いは、また、言葉を語ることと
書くことのへだたりと「対」として現れる。ここに、哲学成立の秘密がある。
対話とは、人と人との出会い、言葉をつうじて何かを追求し明らかにしていく
営みである。それは、顔をもつ生きたひとりの人間と人間のあいだにかわされる、
一度かぎりのやりとりである。 対話は、それがかわされる特定の生きた状況、
時と場を離れてはありえない。会うのは心と心であり、ぶつかりあう言葉と
言葉が吟味により明るみに出し対話する人の生そのものである。そして、人と
状況は、その対話を通じて変化していく。対話を交わした人のあり方は、もはや
以前のものではありえない。 人が形つくる対話の言葉は、また、その人を
形作るものである。そして、対話は、二度とくりかえさることはない。
これに対してブラトンは、語られる言葉を書かれた言葉にして残した一度しか
起こりえない対話を書き物に結晶させた時、それは時を越えて反復可能なものと
なった。書かれた対話は、うつろいゆく言葉を文字に留め、それを読むことが
対話を反復させる。私たちの心には、思りという新たな対話が生み出される。
そうして書かれた対話篇において、対話は対話者たち、さらに、著者プラトンの
手を離れて、私たち読み手のものとなる。 一時の対話を永遠へとつなぎとめる
著者と、それを再び時間においてくり返す対話者。対話篇を読む私とは、
そのようなもうひとりの対話者なのである。しかし、ソクラテズが従事する
生きた対話と、それを書きあらわした対話篇とのあいだに根源的な隔たりがある。
このギャップは、「パイドロス」で、エジプトの神々の対話という形をかりて
語られる、「書かれた言葉」への批判に現れる。文字が記憶と知恵のための
すぐれた発明であると自慢するテウトに対して、王神クムゥスけこう批判しる。
書かれたものを信頼することは記像力の訓練をなおざりにする想起の秘けつに
すぎず、それが与えるものは真の知ではなくその見かけにすざないと。
書かれた言葉は、問いかけても何答えない。
〜〜
対話について、これだけ分かりやすく書かれているのものも珍しい。
学生時代にプラトンの「ソクラテスの弁明」を読んでいたが、何を理解して
いたのだろうか。 字づらだけを見て、知ったつもりでいただけではないか?。
反面、学生時代に寮にいたことや、ゼミや、クラブの人たちなど色いろな人と
一度限りの対話があった。その蓄積が人生の大きな基盤になっていた。そして
[5]続きを読む
04月21日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る