ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5122, 社会主義の実現を信じた狂信者という悪魔 〜3
かというと、�の、プレゼントを贈り合い、おいしい食事を共にし、一緒に
旅行・映画に行き、楽しい会話をする… といったモノ・コト(経験)の数々は、
それだけでは恋愛にならないということで、実際、以前の時代は、相手がこの種
のサービスを提供しようとすると、賢い女性たちは、「あんまり甘やかさないで
下さい」と断ったものだった。次に�の領域はというと、これまたふたつあって、
�ー1 は、一緒にいると、(自分ひとりでいるよりも)のびのびとでき、
リラックスできるというようなこと。ここでは、のんびりと二人で町を歩いて
回ったりすることに象徴されるように、かなりはっきりとした幸福感のような
ものが意識されていて、それは結婚を決意するときの理由に「一緒にいても気を
つかわないですむから」とか「彼といると、寛げるんです」というのが多く
挙げられることからも分かる。それに対して、�−2の領域の、二人が互いに
高めあうというのは、今は、全く人気がない。というのも、人生の課題を
達成して自分を高めるというのが、たとえ恋愛していようが、相手から干渉
されてはならない個人の最も重要な領分だからである。≫
▼ 愛・恋は自我の変容でしかないが、�、�−1、�−2の間で揺れ動く
ところが恋愛心理なのだろう。年齢によっても変化をする。この視点で、
色々な恋愛をみるにつけ、それぞれの歪みが見えてくる。
その歪みこそ、恋愛の恋愛の所以になる。
・・・・・・・
3285, 人みな骨になるならば ー4
2010年03月24日(水)
*文化・文明は「裸のサル」を守るカプセル
ーまずは「文化:文明はサルを守るカプセル」説の部分を抜粋するー
文明の総体は全て物質的な鎧にすぎない。だいたいにおいて物質的な侵害
からは防いでくれるが、それでも疫病や事故といった不運を増やすことも
減らすことも在る。 ・・サバンナの頃の不運は減ったが、大都会に住むこと
による不運がとって変わっただけである。幸いなことに文明には文化といった
非物質的な相棒が付き物だった。つまり我われは文明という即物的なカプセル
とともに、文化という精神的なカプセルにも守られている。・・
「疑似環境」こそが文化に他ならない。ヒトと宇宙の間には文明や文化という
疑似環境が作られるのだ。文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい
「裸のサル」を守るために、そのサルによって分泌された粘液性のカプセル。
しかもカプセルの一部がこのサルの自我なのである。人間集団は自ら分泌した
文明と文化というカプセルにより自らを防御する。なによりもまず寒暑、飢餓、
外敵などからわれわれを守る。いわば人類の生命線を守っている。
また人間の心理が物理的宇宙から浸蝕されていくのも防ぐ。いわば宇宙と人間
のインターフェイスであり、人類の守護神である。それほどの守護神が宇宙の
冷淡さや不条理から、われわれの心理を守らないはずがない。われわれ人間集団
の内部に、それなりの合意が得られそうなルールが誕生する。掟、タブー、
戒律、法その他である。これらによって、われわれの集団内部に限って理不尽は
最小限に磁められることが期待される。だれもがゆえなく害せられてはならず、
また一定の手続きによってのみ加害者は処罰されるようになる。かくして法治
国家のもとで暮らすかぎり、社会生活の上で勧善懲悪や信賞必罰といった道理
がおおむね通用するようになった。
▼「文明も文化も、第三惑星に棲息する弱々しい『裸のサル』を守るために、
そのサルによって分泌された粘液性のカプセル。・・ いわば宇宙と人間の
インターフェイスであり、人類の守護神である。」というのは言いえて妙。
そんなものに一々汲々とするな、というのも肯ける。 所詮そんなものは、
人間世界の中の通貨のようなもの。神も、文化・文明も、人間が共同幻想で
つくり上げた分泌物でしかないのは、身近な故人の脳をイメージとして透して
みれば明らかのこと。映画の「猿の惑星」の文化・文明と、人間のそれは
ドコが違うというのか。
・・・・・・・・・
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03月24日(火)
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