ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5096,遊ぶこと ー人間であること −①
軸にした思考がくりかえされる。この思考は・柔軟性を欠けば、こり固まって
偏狭な自閉的世界へと入り込んでしまうのかもしれない。 ≫
▼ 60歳を過ぎてから、自分では見えていたと思っていた側面が疑わしく
 なってきた。 老化とは偏狭な自閉的世界に入るプロセスでも。最近、
自分の中に以前から下町などで見た歪んだ顔の老人の姿が合せ鏡になってきた。 
自分の老いを見つめることも自己探究。
・・・・・・・
3259, 世界の深さは、世界を読む人の深さにかかってくる
 2010年02月26日(金)
  *蒟蒻問答
八五郎。昔の伝で上州は安中で蒟蒻屋を営む六兵衛を頼ってやって来た。 
六兵衛さん曰く「丁度村の寺に住職が居なくて困っていた所だから、そこの
住職になれ」と勧められた八五郎、気楽に過ごしていたが、ある日、諸国の
僧侶が問答をしたいとやって来たから、大変。当時は、問答をして負けた方が、
寺を明け渡して出て行かなくてはならない決まりがある。八五郎は、仕方なく、
その日は住職は留守だとして旅の僧を引き取らせますが、また来ると言われ、
困った八五郎六兵衛に相談、六兵衛は自分が住職になって適当に追い返すと
言うので八五郎は代わってもらう。次の日、早速旅の僧がやってくると、
住職になりすました六兵衛。 僧の前に座ったきり口をきかない。
旅の僧は住職が無言の行をしているのだと勝手に思い込んで、身振り手振りで
問答をしようする。自分の胸の前に、指で小さな丸を作って前に突き出すと、
住職に成りすました六兵衛、若い僧を睨み付け、両手を大きく動かして円を書く。
(字数制限のためカット 2012年2月26日)
・・・・・・・・
2884, 被膜で隔てられて
2009年02月26日(木)
        「ことばの顔」ー鷲田清一    中公新社
被膜に隔てられてー ミッシェル・セールの哲学
ーもし君が身を救いたいと思うのなら、君の皮膚を危険にさらしなさいー
何気なく読んでいたら鋭い指摘に、深く納得。
  ーその一部をまとめてみるー
 私たちは傷つくことを深く恐れているらしい。いつも被膜越しに、
防禦壁ごしにものに、出来事に関わろうとする。関心がないわけではない。
強く惹かれるけれど、それにふれて、ぶれてしまうことを恐れるのだ。
そう、火遊びをこわがるのだ。とりかえしのきかない痕跡が残ることを
怖がるのだ。TV、ビデオをまるでマジックミラーをのぞくかのように、
まるで透明人間のように、他人のプライベート空間に入って行きたいと思う。
あるいは殺人事件の現場、他人のセックスを身近でみたいと思う。
 それも自分がその場に身体をもつことなく。
・ホラーや怪奇のビデオは今も人気がある。 バラエティ・ショーも、
 この場合は、自分も実は観たいし参加したいが、画像を通せば簡単に
 参加した気分になれる。
・TV、インターネット、携帯電話、など全てが被膜を通している。
・透明ラップ ー>スーパーの魚や肉も同じ。調理済みにしパックされている。
 私たちは、自分の皮膚をさらさない、避難所に立てこもったままで、しかし
 他者に、異物に関わりあいたいと願う。いや、現代ではその被膜こそが、
 唯一の対象なのかもしれない。物ではなくて媒体そのものが最初の、異物と
 思われない異物なのかもしれない。そうすると、他人でも物でもなく、媒体
 という遮蔽膜が私の環境になっているかもしれない。セールは、(内部)を
 皮膚という表層の効果としてとらえた人だ。皮膚と皮膚とが接触するところに
 〈魂〉が生まれると考えた。唇を噛みしめる、額に手を当てる、手を合わせる、
 括約筋を締める、そうすると〈魂〉が生まれる、と。そう〈魂〉をさらした
 ゲームの中で、ひとはじぶんの存在に触れる。そう、傷の中で、時間がなにか
 のきっかけで思い出したように疼かせるあの傷の中で、そう、負った傷だけ、
 たしかに〈わたし〉は存在する。少なくとも「美には傷以外の起源はない」。
 そういったのはジャン・ジュネである。
 ーー

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02月26日(木)
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