ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4886,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー44
ありえない不思議な才能であり、特殊の才能である、特異能力とも呼べるものであり、貴重な力となりうるからである。
<考える>という根本は、まず疑問が無くてはならない、それからしてジャップには無い。次に推理、次に分析、
最後は統合。この4段階、どれもない。疑問がないのは、比較感覚がないからということになる。
比較がないから、考えない。・・・・ 》
《 中村元「日本人の思惟方法」の引用からー
 (日本人は)西洋人の目には、シナ人などよりはるかに浅薄な印象を与える。日本人自身は世界の文化を
 総合したつもりでいるが、じつは単なる便宜主義的な無反省な折衷混合状態に陥っているおそれが少なくない。》
更に著者は日本人を嘆く。
《 「一言で言えば日本人は他律的な民族だということである。それは縄文から続くわれわれの本性だったのだ。
 他律とは、(自分の意志によるのではなく、他からの命令や束縛によって行動すること)であり、カントの用語
 によれば、意志が理性の命令でなく、感性の自然的欲望(傾向性)によって規定されること、である。」
「すべて。そして誰かが操作している。このにほんじんの本性を、骨の髄まで他律的であることを知っている誰かが、
どこかの国が、どこかの民族が、その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長させ、推進させ、摂取し、操っている。
 そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人々は気づかないのか?」》
  ー著者の視点で人生を振り返ってみると、アメリカの属国としての価値観を疑いもせず、
あくせく生きてきただけ?になる。
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2009年07月31日(金)
 3039,「自信を与えてくれた人」
 何気なく見ていたブログに紹介してあった一文。世の中には心を打つ色いろな出会いがあるもの。
本人にとって何にも替えがたい自信になったろうし、前向きにさせてくれる出会いである。ネットで調べたら、
この人の漫画は何度も目にしたことがあったが、軽妙な暖かい人物像を描いている。その「元気を与えてくれた人」は、
数寄屋橋の絵の中の何かに共振をしたのだろう。その絵に感動し十五年後に買い求めた人と、その絵を見てみたいもの。
《 あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。私は数寄屋橋で風景画を描いていました。
 ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころです。 私の描いた油絵を、大勢の人が見て通るんですが
一人だけ、三十分も一時間もそばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。
そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。「あなたは忘れているかもしれないが、
私はあのとき住所をたずねたものです。あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。
こんどようやく家を新築したので、ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容でした。その頃の
ぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンとぼくの手もとにあったんです。しかも、何度もぼくは
住所を変わったんで、その人は苦労して見つけてくれたに違いない。ぼくは感激しましたね。さっそくその人と
いっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。》 ー鈴木義司
《鈴木義司=読売新聞の夕刊の4コママンガを描いている漫画家、2004年7月17日午後2時45分に死去。享年75歳。
   むかしテレビ番組「四コママンガ道場 お笑いマンガ道場」に出ていた》
▼ 享年が75歳で、この文章は42歳の時の文章とすると、亡くなる33年前の1971年頃の文章になる。
 絵を描いていたのが、その20年前というから1951年ということになる。岸恵子の『君の名は』が1953〜54年、
その二年前に数寄屋橋で絵を描いていたのである。 新築の家の絵に欲しいというところが良い。
この逸話の中から、それぞれの人生が浮き上がって見えてくる。
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2008年07月31日(木)
 iPoneについて
いずれにしても、これは凄い。少しオーバーに言えば1〜2ヶ月で、私の中の何かが変化するだろう。
 情報機器を幾つか持っている。 そのお陰で

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07月31日(木)
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