ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[395523hit]

■7441,閑話小題〜YouTube【ユーチューブ】とは…
別に飲み出歩きたいと思わない。これは海外旅行も同じ。
 ・不幸では、3番目の姉の連れ合いが85歳で、高校の同期生が亡くなった。 
この年齢になれば、無事経過こそがベストの出来事。健康面は腰痛以外は良好。
毎週金曜日の「シネマ通い」は、一月末以外は、皆勤。今日を含めて24回に。
SJ通いは、7年以上、週5日、皆勤に近かったが、最近、月曜か土曜日を休む
ことにした。早朝のポタリング(ミニ・チャリ)1時間に、2時間の運動は、
健康的過ぎ、これでは推定死亡年齢?を遥かに超え、「死ねない病」になる
恐れが出てきた。予定では、あと2年半だが、このままでは…


   * ワールド・サッカー、予選通過
 昨夜は、熟睡していた0時過ぎに、近所の絶叫の『ター!』の大声で眼が
覚めた。家内は隣で爆睡。そこでTVをつけると、終了10分前。アジショナル
タイムを入れた一番のサワリの20分を幸運にも観ることが出来た。
前日のドイツ敗戦を日本に当てはめる解説は誰もしてなかったが、紙一重で、
同じ道を辿る可能性があった。ドイツが終盤に放ったゴールが悉く外れ、
逆に二点入れられ敗戦。その再現かとヒヤヒヤしてみた。
 裏番組で『セネガル対コロンビア戦』の結果では、予選敗退の可能性が
あったため、微妙な采配が必要だった。次戦7月3日まで楽しみが延びた。

・・・・・・
5584,60歳までに、人生を前倒しをしていて!
2016年06月29日(水)
 70歳を過ぎた現在、「60歳までに人生を前倒しをしていて良かった!」と、
つくづくと思うことしばしば。以下にコピーしたの13年前の文章を読返すと、
1年後に中越地震、その3年後に刈羽柏崎沖地震、4年後の2008年に、リーマン
ショック、更に8年後に東北大震災が、たて続いた。その結果、私も、まさかの
事業整理に至った。 作家の曽野綾子が、「人生の良いところは、60歳まで」
といっていたが、体力も考慮すると、成るほど正しいと実感する。 
――――
2003/06/16
50歳の頃ー1
  −60歳までの人生
 曽野綾子の本で『人生の良いところは60歳まで』という文章があった。
丁度私が50歳の時であった。50歳で、母親を見送り(亡くなり)人生の
損益分岐点を超えたという思いがあった。あとの人生を如何生きようかという
自分への問いかけをしていた。その翌年、下の子供と家内と3人で南米の
ギアナ高地に出かけた。テーブル・マウンテンのキャンプ場で、夕陽を見ながら
息子と日本酒を飲みながらふと思った、「自分の人生の元は充分にとった」と。
 その時に考えたのは、
「曽野綾子の『人生60歳までがよいところ』なら、それ以降の人生を60歳
までに詰め込んで生きよう!『人生の純益』を60歳までにとってしまおう」と。
・海外旅行をそれまでに50回行くことー不景気で無理か?
・人の目を気にしない生き方を更に徹しよう
・好きな事を可能な限りしよう 等、生き方を変えようと。
しかし曽野綾子は60歳少し前の文章である。
その時、母の生き方を見ていたこともあり、まだ解っていないと思っていた。
本当に良いのは60歳からというのを母から教わっていたが、しかし
「60歳以降の前倒しにする決心』は良いと解釈した。 
 その翌年にネパールに行ったとき、67歳の初老の人から人生の秘訣を
教えてもらった。「私は43歳までに必ず死ぬ家系であった。それを前提にし、
そこまでに人生のすべてを燃焼し尽くした。その一つに日本を全てを家内と
娘と3人で回り尽くした。しかし死ななかった。その後は世界にチャレンジを
始めて、ほぼ全てをまわり尽して現在もこうして生きている。短命の家系の
前提がなかったら人生をここまで味わいつくせなかった!」。 深い人生の示唆
であった。「60歳までに人生の全ての前倒し」を自分の生き方に取り入れた
直後であったから、尚のこと心に響いた。あと2年半で、その60歳である。
「それでは60歳以降如何いう生き方をするのか?」。
元を取ってしまったので、逆にあとは一日一日をじっくりと味わって生きる

[5]続きを読む

06月29日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る