ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6618,読書日記 〜『怒りを活かす人…』 〜1
 そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。そして威嚇
 したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。とはいえ、
 その対極にあるような日本も間違いなく変。何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。

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4487, 怒らないって本当は恐い! ー3
2013年06月29日(土)
                    『怒りの作法』小川仁志 著
   * 怒るとは哲学することである
 考えるきっかけのひとつに「感動すること」がある。ところが、ここで
「怒るとは哲学をすること」と、いう。突然、死に直面すると「まだ遣り残した
ことが多い自分が何ゆえ死ななければならないのか?」という怒りが沸くという。
そして当然、「死とは何?」に行きつく。 怒りは対象を根こそぎ否定し、
一歩踏み込むことになる。 ーその辺りからー
 ≪ 哲学の端緒としての疑う行為とは、「何かおかしい」という、現実に対する
怒りなしには生じえないのです。その意味で、哲学はその出自においてすでに怒り
と密接に絡みあった営みであるということができます。哲学の父とされる
ソクラテスよりも、さらに前の時代の哲学者たちは皆、自然現象のメカニズムに
疑いを投げかけ、これは決して神の仕業などではなく、世の中を構成するもっと
理屈の通った原因によるものにほかならないと考えた。現代社会とは異なり、容赦
ない自然の猛威に為すすべもない時代、彼らは苛立ったことでしょう。自然は何から
できているのか、世界は何でできているのか、いったいこの世の本質とは何なのかと。
その精神を受け継ぎ、哲学は西洋社会で鍛え上げられてきたのです。世の中を説明
するための原理として耐えうるように。そしてデカルトを生み、カントを生み、
へーゲルを生み、二ーチェを生み、今なお多くの哲学者たちが西洋社会で怒りを露わ
にしています。それは現実に迎合したり、諦めを隠ぺいするために「真理」を妄信
したりするような行為とは正反対の、いわば現実に対する知的抗議ともいえる営み
なのです。 怒りは言葉を生み出します。怒ることを「黙ってはいられない」など
と表現することがあるように、怒りは人に対して言葉を発するよう仕向けるのです。
それはまさに哲学の営みにとって不可欠の要素であるといえます。・・・当たり前
のことに怒る、わからないことに怒る、権力に怒る、従順なだけの民に怒る、自分
自身の人生に怒る。怒るとは、生きるうえでの情熱の尺度であり、それは悩み続ける
人生を引き受ける営みにほかなりません。まさに怒るとは哲学することである。≫
▼ 問題解決には、粘り強い思考が要求される。単に感情をぶつけ合うのでなく、
エネルギーを出し合って、ベストの道筋を考え出すのに怒りを利用すればよい。
創業は、正に怒りの連続になる。目に見えないものを独り信じ、一つずつ積み
上げていく。そこに計画通りにいかない苛立ちと不安と怒りが、自分の行為の
エネルギーになる。また考えるヒントになる。哲学者の中島義道の著書の中で、
彼が怒りっぽいことを具体的に書いていたが、この本を読んで、納得。この一連の
出来事の中で、多くの怒りに直面してきた。その都度、目を背けないで、怒りの
本質を凝視してきたが、成るほど、そこに経験者しか知りえない道理を見ることが
出来た。手の裏を返してきた彼等。 ああ、そうだったのか! という気づき。
それもあって、「怒るとは哲学することである」という言葉は、実体験で理解できた。
 結局、人間は色いろな究極の場面で、品性が出てくるもの。それも、マイナーの
方が表立って噴出してくる。年齢を重ねるほど、哲学(考えること)する必要性が
ある。何故、あの時、あの人は、あれだけ怒ったのだろう?
何故、私は、あの時怒ったのだろう? あの時の感動で何が変わったのだろう? 
感情の最たるものは怒りと感動?

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4497, 怒らないって本当は恐い! ー12
2013年07月09日(火)
                      『怒りの作法』小川仁志著
   * 怒らない作法

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