ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6605,つれづれに哲学 〜「遊び」について再び
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが
面白くて始めた“遊び”といわれる。
そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた
場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びにする
ことが、高度な知的行為である。
ーー イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に
遊びが入っているところが、注目に値する。 d=(^_^)=b
競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜!
何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、
ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、
ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。
・・・・・・
2004/05/12
1135, 「ライフ・レッスン」−13
ー遊びのレッスン
遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。
何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から
答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事を
じゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。
遊びとはつかの間の気楽な時間ではなく、遊びのためだけに捧げられた、
実際の時間である。私にとって、この随想日記を書くことじたい遊び。
遊びでなくては絶対に1000回も書くことは無理であった。
散歩もわたしにとって、最大の遊びである。
初めは腰痛対策であったが、いつの間にか遊びに昇華してしまった。
歩いて楽しいのだ。
晩年になって過去を振り返ったときに、あの時は良かったという
記憶に残るのはやはり無心で遊んでいた時であろう。それぞれの年代に
おいて、それぞれの遊びの中で我を忘れて楽しんでいた時である。
ー抜粋
・われわれは趣味や遊びが何であるか忘れている。家具つくりを
趣味でしている人が、ある日突然「これを仕事にしよう」と思い立つ。
好きなことをして、それが仕事になれば、というかもしれない。
しかし趣味とは成果を気にしないで純粋に楽しむものである。
売るための家具をつくれば、もう趣味といえなくなる。それは仕事である。
そのことに気づかずに、好きなことを、純粋に楽しめないことにゆがめて
いく人が少なくない。
・おもしろくって、一日中でもやっていたい、本当に好きなことをやらずに、
欲求を最大限おさえて生きていくなんて、何ておぞましい人生だろう。
遊びにかけているサファーを、われわれは並以下の人間に感じる。
しかし、真剣に問われるべきは、われわれの大半が遊びのない世界に
住んでいるのは何故かということ。
・自分自身に上質な時間をあたえてほしい。
愛する人とすごす上質な時間が必要だということを、誰もが知っている。
ところが、自分だけのための、ひとりですごす上質な時間もまた
必要なのだ。ひとり取り残された時間でも、気がついたらひとりになっていた
でもなく、純粋にひとりを楽しむ時間が一番大事だということを知ってほしい。
ーーーー
20022002/01/05
一人遊び
孤独に強い人とは、一人遊びができるかどうかにある。
一人で楽しみを見つけ・・・、書いていて気がついた、
それって「お宅」でないか。 似ているがやはり違う。
それは一人遊びのできない人が表面を見て、いっているのではないか?
結局中途半端のそれをいうのではないか?
字のとおり、部屋に引きこもって自分の殻にこもった状態をいう。
山登りや釣りはやらないが、これなど一人遊びの典型である。
別にそれをお宅といわない。読書好きの人もお宅といわない。
自分の強みは孤独に強いことだ。人に何かを求めないこと、求めても
そこに何もないことを、経験上知っているためだ。
結局人間最後は一人だ。そこでボールを一人でバウンドさせていくしかない。
そうしていれば、人が面白そうと自然に寄ってくるものだ。
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04月16日(火)
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