ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[386499hit]
■6231,閑話小題 〜遊びについての断章
干葉拘置所に拘束されていた。その間、私を悩ませた課題は、
「自分は何故生まれ、何処へ還るのか」という古代ギリシャ以来の疑問。
ある時、一冊の本が差し入れられた。立花隆の『宇宙からの帰還』である。
その中で私を惑動させたのは、宇宙飛行士のエド・ミッチェルの、次の発言。
〈 すべての存在がそれぞれにその役割を担っているある神的なプランがある。
そのプランは生命の進化である。個別的生命は全体の部分である。個別的
生命が部分をなしている全体がある。すべては一体である。
この全体の中で、人間は神と一体だ。宇宙は創造的進化の過程にある(略)。〉
彼の言葉が、完壁に理解できたのは、平成十年の大晦日である。朝から二度
倒れ、四度嘔吐した。その時、突然、次の唱句が天から降りてきた。
年ゆくや天につながるいのちの緒 春樹
この瞬間、あらゆる生命が宇宙意識と繋がっていること、宇宙は一つである
ことを直感したのだ。エド・ミッチェルが宇宙で体験したことを、私は地上で
体験したのである。そして平成十六年九月一日、私は静岡刑務所の独房の中で、
自分の意識が宇宙の果てまで辿り着いた時、逮捕されて以来の長い間の疑問が
あっけなく感受できた。 答えは、人間は人生ゲームを楽しむために地球に
生まれて来た、ということだった。】
▼ 人生のゲーム化については、ここで何回か書いているが、彼が他の人と
違うところは、そのコンセプトのもとに雑誌を刊行したことと、刑務所の中
で、絶望の底で、実感として掴み取ったことである。‘ゲームとは、到達地点
を決めて、その間に障害を置いて、如何に効率よく到達するかを競う遊び’。
人生ゲームの醍醐味は、死の完成までの障害を乗り越えるプロセスを如何に
楽しみ、味わうかにある。それも命がけに取り組むほど、ゲームが面白くなる。
【 父母に 呼ばれてこの世の 客となり用が済んだら はいさようなら 】
という一休の詩がある。せっかく、客として呼ばれたからには、この世の
人生ゲームを充分楽しまなければ、生まれてきた甲斐がないじゃないか!
ということだ。そうこう考えると幸せの4階建ての4Fが、克服できない苦難
や悲しみ、というのが少しは分かるが。
4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
2階:獲得した「快」を永続させる。
1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
人生ゲームは、このビルの中で遊ぶようなものである。
何か際どい話になってきたが。
・・・・・・
2789,人生ゲームを楽しまむため、生まれけん! −2
2008年11月23日(日)
人生ゲームの基準を、私ならどのようにするかを考えてみる。
昔から言われているように「良く遊び、良く学び、良く働く」を
目安にすると解りやすい。
・どのような趣味をもって、ライフワークにしてきたか。
・どのような仕事に従事して、楽しんだか。
・長年かけて教養を積み上げてきたか。
・それらを達観できる視線を、自分の孤独の世界で創りあげたか、である。
人生の価値基準は心の内の問題だから、第三者がとやかくいえることではない。
この4つを、どうバランスよく拡大、深耕したかを、自分のゲームとして
楽しんだかが人生ゲームを楽しむことと、定義づけてみた。
鼻歌を歌いながらスキップするしかない場面も人生には往々にある。
人生には、ある程度の長生きも必要である。人生を楽しむには、楽観的で、
能動的でなければなるまい。そのためには、常に楽しい明日をイメージして、
その実現の準備を地道にすること。耳には、何時も心地良い音楽を流すことは、
誰でもできる。 目は、大自然の風景や、美術館で良い絵や陶器をみたり、
本やネットで良い写真や、ビデオで映像をみることができる。鼻や口は、
季節季節の新鮮なものを食べればよい。 誰でも、身の回りに楽しめることは、
幾らでも転がっている。「おもしろきなき世を おもしろく」は、長州藩士、
[5]続きを読む
04月05日(木)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る