ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6047,一億総貧困時代 〜読書日記 −1
でもアメリヵがなぜ本気で怒らなかったかといえぱ、冷戦という枠組みで、
日氷の存在が貴重だったから。これはラッキーでした。 ・・・(略)
出口: 高度成長には自分で行動しなくても、みなと同じように働いていれば
自然に成長するのです。めちゃくちゃ楽ですよ。日本は一九九〇年のバブル
崩壊まで三十五年間、実質七%成長していました。七%成長というのは、
十年間で、経済規模が倍になる数字です。給料もそれに近い形で増えます
から、とんなに幸せなことはないのです。
澤上: それが先ほどから言っている右肩上り三角形です。企業に勤めて、
真面目に働いて、自分でも頑張っているような気がしている。
でもよく見てみると三角形に乗っていただけ。その大前提が全部なくなった。
そうすると一人ひとりが自分で考えて-行動するレかない。でも、それは実は
経済の原点なんですよ。これだけ幸せな状況が続いたのは日本だけです。
世界には全く例がない。日本がやっと世界の常識と同じになったんです。
出口: ええ。戦後の日本が特別だというのは、中国の歴史を見ても分かります。
中国では、平和で成長して、みんなが幸せだった時代を盛世と名付けています。
漢の文景の治と、唐の貞観の治と開元の治、そして清の康煕帝の時代です。
四千年の歴史のなかでたった四回しかなくて、しかもそれぞれが平均すると
二、三十年です。二十年戦争がなくて、経済も良くてというのは、本当に
世界中を見わたしてもめったにない。だから「あの頃はよかった」とか
思わずに、戦後は宝くじが五回くらい連続で当たった特別な時代だと思った
方がいい。今が普通だと。≫
▼ こと人生と、事業の万一の備えは、してきたが、50歳代に、捨身で
余生30年分を圧縮した生き方をしたのが良かったと実感してる。
両人の言うとおり、奇跡的な良い時代背景に生きてきた。これだけは自分の力
の及ぶ領域でない。この時代に生きただけ充分、結果?何ぞは如何でもよい。
まったく時代背景の豊かさにに鈍いのが多い! で、偶然、以下の文章に続く。
・・・・・・
4950,「嘘みたいな本当の話」
2014年10月03日(金)
* 「嘘みたいな本当の話」の書き方
『嘘みたいな本当の話』 内田樹、高橋源一郎:選者
この内容に似たテーマの文章を幾つか書いてきた。空中離脱や、ジンバブエの
鉄橋からのバンジージャンプや、意味ある偶然の一致の経験、などなど。
それもあってか、もの足りないが、その軽さと、切口も悪くはない。
≪ 投稿された中での選定の基準のひとつは、「奇妙な後味の残っているもの」
と、「そういうことってあるよね」感のあるものという。これは随想そのもの
にも言えるが。例えとして、次の古典的なショートショートが良い!
≪「地球最後のの男が、最後に残ったシェルターで、いま死を迎えようとして
いた。すると、ドアをノックする音がした。」 これを選者の内田樹が読んだ
のが、中学校の時で、半世紀も忘れてなかった。そして、いまでも、
「人間とはあらゆる修辞的装飾を剥ぎ取った場合に何ものか」という定義を
試みるとき、この条件設定をしてしまう。それだけこの「奇妙な味」は僕の中に
内面化してしまったことになる。もうひとつ、「そういうことって、あるよね」
と言うのは人間の可能性を押し広げる重要なキーワード。
「成瀬さんて、空中浮揚するらしいよ」「うん、そういうことってあるよね」
そういう感じで使います。・・ つまり、「奇妙な後味」も「そういうことって、
あるよね」も、どちらも自分が「人間とはこういうものである。世界はこういう
もので成り立っている」とリアルかつクールに考えていることの
「ちょっと外側」を感じさせ、結果的により精密に、かつ奔放に自己観察を
するきっかけになるものだということになる。・・ ≫
▼ ものを考えたり、文章化をする時、この二つの基準が、何が大切かを
考えさせる。「嘘みたいな本当の話」のネタは、考えれば幾らでもある。
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10月03日(火)
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