ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6045,閑話小題 〜「空しさ」ですか ー2
・・・・・
H0905  宴会好き!
 創業来16年、当社の宴会が110回以上という。
私も宴会が好きな上に支配人がさらに好きというのがこの回数になった!
忘新年会、工事関係の祝賀会、海外旅行の出発、帰国、理由をつけて
よく飲んだものだ。もともと私の父が宴会好きであった。
酒はあまり飲めなかったが、その雰囲気が好きで年に2回ぐらい、
無礼講で家族と従業員と取引先数人を集めて50〜60人の会を開いていた。
これが私の4〜5歳の時からで、親の目を盗んで日本酒を飲んでいた。
今考えてみても相当の盛り上がりで、これほど楽しい思い出はない位
だった。芸者や幇間や素人芸人を呼んで“粋”な会でもあった。
丁度、父が私と同じ位の年齢で親子がカタチを変え同じ事をくり返して
いると思うと“三つ子魂”何やらである。
当時の貧しい時代のハレとケのハレであったのであろう。
今でも忘れられない芸の一つがある。畳の上に一本の紐をおき、
その上をあたかもサ−カスの綱渡りのマネをする芸であった。
酔っているその姿が危なく面白おかしいのだ。その人も10年位前、
痴呆で亡くなった。
・・・・・・
2002/04/02
新入社員歓迎会

毎年この時期におこなわれ、非常に毎年盛り上がる。
当社の宴会はもともとかなり盛り上がるが、
歓迎会がさらに盛り上がる。
2〜3年に一回はトリック・スターが出るが今年は2人いた。
お陰で例年の数倍の盛り上がりようであった。

まだ酒の飲み方の解らない新人に飲ませるのだから、こちらも責任がある。
その辺を調整しながら、盛り上げる。しかし面白いことこの上ない。
若い人のエネルギーを戴く感じである。若いということは、本当にいいこと。
とにかく明るい! 花が咲いたという例えがピッタシである。
それと時代に左右されている。彼等はとにかく携帯電話世代だ。
意思疎通の早い事が特徴で、感覚が研ぎ澄まされている。
新人類から、宇宙人といってよいのかもしれない。
反面、孤独という一番大切な世界を知らない。

宇宙人といえば、かぐや姫のストーリ何か今の時代になってみると
以前事実に近い事があったのではと、イメージが湧く。
・・・・・・
2005/08/12
1592, 幇間ー太鼓もち

幼稚園の頃から高校を卒業するまで、実家の店では年越しの
宴会が開かれていた。そのため年末が子供ながら楽しみであった。

芸者を何人かよんだり、近くの太鼓もちを呼んだりしていた。
といって長岡あたりではプロの太鼓もちはいない。
近くの酒の好きな漬物屋の親父がセミプロとして呼ばれていた。
通称「八木漬物屋のオヤジ」である。
彼がいないと場がしらけるほど存在感があった。

映画で観る幇間そのもので、芸者の三味線に合わせて色いろな芸があった。
それをキッカケに、他の人の芸が出てくる。家族や従業員・取引先など
50~60人の宴会が何時も盛り上がっていた。
幼稚園の頃から日本酒を判らないようにコッソリと飲んだ記憶がある。

幇間とは、いわゆる太鼓もちのことである。座敷に呼ばれて、芸者と
同じように旦那衆におべっかを使って機嫌をとるのが仕事である。
落語によくでてくるヘラヘラしながら、しかし暖かい雰囲気を醸し出して
いる技を持っている男芸者である。愛嬌があって、人から何か好かれる
魅力がなければならない。そして宴会などを上手く盛り上げる座持ち役である。

人間は誰でも、褒められ威張りたいものである。
太鼓もちは、その辺を熟知しており徹底的に自分を蔑みながらお客を持ち上げる。
これは余程の持って生まれた天性が無ければ勤まらない仕事である。
もう亡くなったが俳優の三木のり平の太鼓もちは絶品であった。
一度でよいから、この太鼓もちをやってみたいが、無理である。

営業のベテランは、その要素を経験から充分持っている人が多い。
話のキッカケは何か褒めることから始る。
それも自然に、いつの間にか持ち上げられてしまう。
現在、プロの太鼓もちは、ほぼ絶滅?
下町の旦那が余興で踊りなどを演じている位という。


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10月01日(日)
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