ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[382976hit]
■6038,閑話小題 〜シネマ観賞評
自己の創り出した(記憶の底から出てきた)母のイメージだろう。
夢も考えてみたら不思議である。
犬も夢をみるというが、自分の無意識がつくり上げた物語である。
以前は不思議な夢を多くみたが、最近はめっきり少なくなった。
モーニング・ページに起きざまにみたばかりの夢の内容を書いている。
そのまま、大学ノートに書きなぐるが、生々しい夢を書くのも面白い
ものである。モーニング・ページの大きなコーナーになっている。
内容は他愛もないが、それでも時どきハッとするような深い内容がある。
夢と魂とは何か結びついているんじゃないのか?と時どき思う。
それも身近な母や父などの夢は、特に!
ところで母が持ってきた、あの封書の中味は何だったのだろう?
母の残した、「詩」だろうか?それとも家を守りなさいというサイン?
あのイメージは、家筋としての記録である。
家系としての筋道? 胡散臭いが!
ホンジャ (~▽~*)/
・・・・・・
2006/09/24
2000, 継父
(。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜
今日は母の命日で、亡くなってまる十年経った。
この随想日記2000回と重なるところが不思議である。
早かったのか遅かったのかというと、大昔のような気がする。
5年半の間、痴呆症になっていたが死に際の入院までオシメをする
ことがなかった。痴呆症を切れ掛かった蛍光灯に例えると分かりやすい。
始めは時々切れてはつくが、その回数が増えてくる。
マダラボケがジワジワと悪化すると被害妄想や、抑えていた
悪口・陰口が始まる。心が腐っていくのが手に取るように解る。
マダラボケは一緒に生活をいていると疲れるものである。
亡くなって一月後に、
「人様はなんて楽な日常を過ごしているのだろう!」と、驚いた。
両親の一生をみると、人生の深さを思い知る。戦争は全ての
国民に深い傷と重石を担がせる。第二次大戦直後に生まれたが、
あと十数年早く生まれていたら戦争にとられて・・
ところで母の命日なので供養として、
母の幼少時の、絵に描いたような地獄絵の世界を話してみよう。
そして、それが長男・次男の死の間接的な死の原因になってしまう。
この話を故人になったが教育学者の森信三さんが間接的に聞いて、
「自分の主催している会で話して欲しい」と依頼があったが、
断ってしまった。20年前で母が生存中なことと、それを多くの
セレブの前で話すには自分が出来てなかった。
その時、是非話しておけばと悔いが残っている。
母が幼児の頃、父親が母の兄と姉を残して亡くなってしまった。
(奇しくも昨日 WOWOWで「世界で不幸な物語」という映画を観た。
3人の資産家の孤児が、里親に命を狙われ転々とする筋書きであった)
家が商売をしていたので残った祖母は男後家をもらうしかなった。
そして祖母と男後家との間に4人の子供が生まれた。
そこで何が起こるだろうか?この設定は、言わずもがなの結果になる。
義父による実子との差別と、徹底的な虐めである。
3人の末であった母に、特に虐めがいったという。
それが母のトラウマになってしまった。 ーつづく
さて墓参りだ!
ーー
書いた後に気がついたことだが、
ほぼ同じ文章を、2年前に書いていた。(後にコピー)
次回は更に深く母の一生を掘り下げて書いてみよう。
(。・ω・)ノ☆゜+.バイ!
・・・・・・
2004/09/25
1271, 母が亡くなって、まる八年!ー2
十数年前のこと、新潟に有名な教育者が講演に来た。その夜、勉強会の
「新潟木鶏クラブ」で、彼を囲んだ座談会を開いて話を聞いた。
そしてそのままホテルに泊まってもらった。
翌朝お礼を兼ねて、弥彦の良寛で有名な「五合庵」などを車で案内をした。
二人きりの車の中、4時間位話をする機会になった。
そして直に旧知の友のようになった。知らないうちに、昨日書いた
母の生い立ちと、それゆえの不幸の出来事の話と、不条理の話に及んだ。
[5]続きを読む
09月24日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る