ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383930hit]

■5657,閑話小題 〜SJの現場で!ー②
▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口
の広さが、知識の幅になる。ここで、スペシャリストとプロフェッショナル
との違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、本を読む、何事
にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた
習慣が必要になる。情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。
それにしても我が教養の少なさを実感する。これも自覚できるか、出来ないか
の違いでしかないが! 高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い! 
知れば知るほど、知らないことが多いことに気づくはずなのに、である。
知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に気づくはずなのに、である。 
専門分野も、掘り下げれば下げるほど、専門外の知識が必要になって然る
べきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる?
・・・・・・
4560・横尾 忠則の老人論 ー3
2013年09月10日(火)
 「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
    * コスプレの公開制作が面白い!
 コスプレはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為。
画家が、自分の描く風景の登場人物のコスプレで公開制作とは面白い。これまで
色いろな職種を経験してきたが、制服を着た当初はコスプレのような感がした。
それも数日で同化するから不思議。それは事業も同じで、無我夢中で取り組んで
いるうち、その機能になってしまうもの。人生もコスプレのように、服装も心も
身体も全身仮面で時節ごと付け替えているに過ぎないのではないか。
化粧と服装も、自分が主役のTPOSに合わせたコスプレ? ギャルとか、
キャバクラ嬢の見なりは、その典型・・
  ーその辺りの箇所からー
《 1980年代にさしかかった頃、グラフィクデザインから画家に転向したが、
 当初アトリエがなかったため美術館のスペースで絵を書く事が多かった。
それもただで場所を提供してくれるところはなく、「貸してあげるが公開制作
にしてくれないか」という条件が出された。絵は本来アトリに独り籠って
かく孤独な作業なのに人前で描くということは考えてもいなかったので、
果たして描けるかどうかに頭を痛めたが、やってみると意外と抵抗なく、
むしろスイスイ描けることに我ながら驚いたものだ。
 それ以来アトリエができるまであちこちの美術館で公開制作を行ってきた。
人前で描くことは確かにプレッシャーになったり、ストレスの原因を生むが
慣れてしまえぱ平気。背後の観客から、集中する僕に突き刺さってくるのが
ヒシヒシとわかる。こんな想念がぼくの中でエネルギーに変換されてより
創造的になることを発見した。この場合の創造というのは無私になること。
不思議なことに雑念が去来しなくなるのである。そう言う意味で座禅に近い
のかもしれないが、座禅とて雑念に振り回される場合が多い。
その点、公開創作の方が「私」意識が薄れるのである。それはは考えるという
ことと描くということが一体化されるからだ。おまけに描くスピードが早く
なり、手と心が同化していくのがよくわかる。だから時には一日で150号大
の作品が描き上がることさえある。観客がこちらの一挙手一投足を固唾を飲んで
見ているのが体に伝わるので、思わず手を休めるのを忘れ描き続けてしまう。
このことが描きてであるぼくを解放する。公開制作の味を占めたぽくは最近
また続づけるようになった。しかもコスプレによって制作する。
公面制作で描く絵は、ぼくが近年描き続けている「Y字路」である。
そこで道路で作業している現場の人たちと同じ格好で絵を描くことにした。
街でよく見かけるー幅の広いズボンにベスト着用、頭にはタオルを巻いてー
とこんな風景をよく見かけるでしょう。つまり鳶職スタイルである。
他の学芸員も道路工事の関係者の役回りになってもらう。
最初は観客は度肝を抜かれ、ギョッとした顔になって、次はケラケラ笑う。
それも一瞬、こちらが真剣に絵を描くものだから、あとは会場は水を
打ったようになる。 よく仮面効用というが、コスプレはまさに全身仮面

[5]続きを読む

09月10日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る