ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5652,閑話小題 〜シネマ、『後妻業の女』が面白い! 〜②
本人の注意が視線の先にないことは、誰にも見てとれる。耳から伝わってくる、
その源に行っているのだ。結果として「私の今の関心は、目の前にはありません。
文字通り、「心ここに在らず」の状態ですよ」というメッセージを強烈に発信
する機能を果たす。しかも機能的には書籍より格段にすぐれている。
手をふさぐこともないし、電車に乗っているときばかりか、通りを歩いて
いようと、あるいは走っているときでさ、彼らは公共の場にいないことに
されてしまうのである・・ ≫
▼ 視覚だけでなく、音楽を手軽に楽しめる視覚活用に、大衆がウォークマン
で気づく。数年前から、更にパソコンが手の平サイズの携帯に収まって世界的に
普及を始めた。それで、ネットで孤人が結ばれたのだから、孤人は、それまでと
違った「?人」に変わろうとしている。「?」は「弧」「拠」「壺」?
現実世界の上にネット社会が出来て、世界を激変させている。
グローバル・ネット社会の住人の呼称は?孤独の群集、孤独の流離い
人が、気楽に、それぞれ結ばれる面白い社会になってきた。
・・・・・・
4555,横尾 忠則の老人論 ー2
2013年09月05日(木)
* 人生の目的 ―バルザックの場合
「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
ー良く遊び、良く学び、良く働く。その他に「空白=虚」の領域を持つことー
これが私の人生の目的。その虚の領域が、バルザックの人生の目的の「休息」
になるのか? 生前、死後に取り囲まれた『自分』の外(虚空)を常に意識を
するため、休息が必要ということか? 欧州のバカンスで1〜2ヶ月も休暇を
とり、生活圏から離れ、ただボッとする。それが彼らの休息。
日本にも湯治というシステムが昔からあった。軽井沢や那須などの別荘地は、
娑婆から隠れるためにある。 ーまずは、その部分からー
《 彼は「芸術家にとって暇が労働なのだ」と言う。つまり芸術家は常に規則
に従うことを拒絶し、自らが自らの規則に生きることを本懐としている。
世の中の潮流や流行は意に介さず、無頓着でいなければならない。社会や他人の
支配に従うのではなく、その時の気分(そう、この気分が大事である)に従う
のを第一義にしなければならない。バルザックも「芸術家は自分の好きなように、
またはやれるように生きる」と語っている。「人生の日的は休息にある」という
バルザックは、芸術家は例外としてもこの彼の目的は万人に通じる。先に彼は
「芸術家にとって閑暇が労働であり、労働が休息なのだ」と言ったが芸術家は
何もしないでボーッしている瞬間にも、作品の構想を頭の中で練っている。
だか休息中でも働いているのだと言っているのである。働くといえど肉体労働
ではない。知的というか創造的労働を体を休ませると同時に行っている。
「芸術家は休む時がないですね」と言われそうだが、確かにそうだ。
でも画家の立場からすれば描いている時は結構休んでいる。考ているようで
考えてない状態、三昧世界に入っているのである。
バルザックが「人生の目的は睡眠にある」と言ったらヤバイが「休息」と言う
ところがさすがである。つまり休息こそわれわれが無意識になれる最もベスト
の状感だからである。またこの無意識の状態こそ最も健康な状態といえるのでは
ないだろうか。常に頭を使ったり過度な肉体労働をすることは健康を害すること
に結ぴつくことがある。バルザックが人生の目的を「休息」と言ってのけた
ところには人間の究極の幸せがあるように思う。大半の日本人は人生の目的を
手に入れるためには多忙を極めなければならないと考えているのではないか。
「休息」を目的にしたらきっと落ちつかないに決まっている。「休息」の
背後には芸術家バルザックの優雅な生活というのが存在しているのである。
貴族趣味で家中を金目の物で飾り付けるという優雅さでなく、自由に心の向く
ままに生きることこそ優雅な人生の目的であるということを「休息」を通して
学び直す必要があるとぽくは思うのです。》
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09月05日(月)
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