ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384111hit]

■5632,お金に強くなる生き方 〜⑤
発揮する、したがって、人間の人間化が起こったのは、自然の恵みで豊かで、
余暇があり、遊び戯れる性向があった状況においてであったと考えるべきである。 
自然界における人類の台頭は、心細い戦場においてではなく、
エデンのような遊びの庭において起こったのである。・・
私にいわせれば、オートメーションの時代の到来は、魔法円の完成である。人間は
エデンという遊びの庭で初めて人間になった。そして今、人間は遊びの庭に帰還して、
人間の究極的使命を、すなわち人間性の完成をはかりうる機会をてにしている。 》
〜〜
遊びの重要性を上手く説明している。良く遊び、良く学び、良く働く、を
バランスよく豊富にすることが人生の豊かさだが、私の場合は、そのバランスは
とってきたが、「良く」に問題があった? まあ、いいだろう。遊びが4、学びが3、
働きが3というところだろうが、厳しい娑婆では、働きが4で、他が3だろう。
学びも、働きも、遊びまで持ち上げるのが理想である。そのためには好きなことを
仕事にすれば良い。
・・・・・・
2332, ホッファー −1
2007年08月22日(水)
                  オノヽ∋―_φ(゚▽゚*)
アメリカの社会哲学者というより、哲人・ホッファー。
彼の文章を読むと、深い魂を呼び起こす熱が伝わってくる。
彼は自分の生きかたを通して人生の何たるかを考え続けている。
知識として、やっと彼まで行き着いか!というのが感想である。
日本でいうと中村天風のような人物である。「ホッファー」で検索をして、
日本で現在一冊だけ出版してある本を見つけ、中古本だがアマゾンから
発注をした。「エリック・ホファー自伝 構想された真実」だが、
今から読むのが楽しみである。HPに彼に関する書き込みが多いのに驚いた。
これからみても彼の哲人ぶりを垣間見れる。生きていく上で真の
「学び・学習」とは何かを深く考えさせられる。
まずは、検索で調べた哲人・ホファーの人生の概略図である。
 ーーー
・ホッファーは(1902年7月25日〜1983年5月20日)は、独学の社会哲学者。 
 ドイツ系移民の子としてニューヨーク、ブロンクスに生まれる。
・7歳のときに母と視力を一緒に失った。
・8年にわたる失明ののち奇15歳で跡的に視力を回復。
・生涯孤独を貫き、学校にも行かず渡りの日雇い労働者としてただ働き、
 時間ができると読書に没頭して思索を深めた。
 学校はまったく出てないかわり一日10時間、いや12時間、本を読みつづけ、
 綿花摘みから、鉱夫、ウェイターなど ありとあらゆる仕事を体験。
 1941年から、サンフランシスコで沖仲士として働いたことから、
「沖仲士の哲学者」とも呼ばれる。
・20歳前後で父が死に、長らく養育役を買って出てくれたマーサ・バウアーが
 ドイツに帰っていくと、本当の天涯孤独になった。
・残った300ドルをもってバスでロスに行き、「スラム」に入った。
 「まるで幼稚園から、いきなり貧民窟に入ったようなものだった」。
 1930年、28歳までスキッド・ロウでその日暮らしを続けた。
 死んでみようかと思ったがそれはならず、ロスを出てカリフォルニア
 中を動きまわった。
・1934年の冬、こういう自分がいったい社会の中の何にあたるのか、
 やっと思い知った。「ミス・フィット」(不適格者)という階層に属する
 ということだったのだ。ミス・フィットは白人とか黒人とか、富裕者とか賃金
 労働者とはべつに、ひとつの階層をつくっていた。それがアメリカという社会。
 今でいうフリーターである。
・その後、農業労働に近い仕事を転々としながら、また読書に没入していった。
 あるとき砂金掘りに出掛けるときにモンテーニュを鞄の中に持って行ったのが、
 ホッファーを変えた。「モンテーニュは自分のことを書いている!」と思えた。
・自分の活動に方針をもったホッファーは軍隊に入ろうとするが、ヘルニアで
 失格、その後はサンフランシスコで沖仲仕の仕事をしつづける。
・「家系はみな短命で、五十歳以上生きた者は一人もいない。

[5]続きを読む

08月16日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る