ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5589,閑話小題 〜『エング・オブ・キングダム』
 いた。職安やリクルートを介して何人かと面接をしたり、数ヶ月間、使って
 みても、相性が合うのが見つからない。大問題だったが・・
・出揃った事業資産は、駅前の土地(当時の時価1億円)と、長岡郊外の更地
 二ヶ所と、現金1億(千城台の売却)。そこで《事業資産は、博打場に投入
 した掛札!手元に戻らないと、割切ること!》と、何度も自分に念を押す!
 それまでの実家の急場の助っ人の立場が、今度は、全てが直に跳ね返ってくる
 白刃の真只中! 本番の創業が始まる。出発点で、5百%の成功確率の準備を
 整えていた手ごたえは、あった。しかし最後は「後は 野となれ 山となれ!」
・・・・・・
4492, 怒らないって本当は恐い! ー7
2013年07月04日(木)
   * アポロン(光)とディオニュソス(陰)
≪ プロレスで人気レスラーが最初はヒール役に椅子で叩いたりひどいことを
 させます。観客を怒らせるためです。そして観客に、「どうしてもっとやり
返さないんだ」というストレスを十分ため込ませた後、一気に反転攻勢に出る。 
そうすると観ているほうは、ついに発現した怒りのマグマにカタルシスを感じ、
すっきりするわけです。そもそも人間の感情として怒りが具わっているという
点については、哲学者たちもいろんな形で論じています。たとえばニーチェが
『悲劇の誕生』という本の中で、アポロンとディオニュソスという対照的な
世界観を描いたのは、そのことをいいたかったから。アポロンは美と光の神、
ディオニュソスは、狂乱と陶酔の酒神、激情の神です。古代ギリシア人たちは、
アポロン的、つまり表面的に見ると明るくて楽天的だと思われていたのですが、
決してそんなことはない。実は人生の暗黒側面と激しく戦って、それを征服し、
苦しみも哀しみ為すべて受け入れた人たち、いわばディオニュソス的な側面が
あるわけです。その意味では、アポロン的なものはディオニュソス的なものの
影であって、本質的なところで苦しさを受け入れているからこそ、彼らは強く
明るく生きていけたのです。 つまりニーチェによると、ディオニュソスに
象徴される怒りの感情は、むしろ人間の本質であるともいえるのです。
 ・・もともとニーチェの思想というのは、怒りや苦しみを、あるがままに
受け止めることによって、はじめて人は善き人生を送れるとするもの。
これが彼の超人思想の根幹ですから、その意味で怒りは避るべきものではなく、
素直に受け入れるべき感情にほかならないといる。 ≫
▼ 誰にも光と、陰の側面を抱えて生きている。それが厚み、深みである。
 山高ければ谷深しである。人生には美と光の日々と、狂乱と悲観の暗黒の
日々がある。また、それが混合している。それも光の当て方で幾らでも
変わって見えてくるから面白いのである。両親や、社会のバイアス(先入観)
に縛られ、光の当て方さえ知らずに、小さな岩場の穴に閉じ込められている
ことさえ、知らずに一生を終えるのが全て人の人生である。他者に原因を
求めるだけでなく、また自分に原因を求めるでなく、問題そのものに原因を
見出すことが正しく怒ること。怒りを生み出している原因は客観的なもの。
それは粘り強くなければ得ることができないため自然と粘り強くなる。
 今まで、感情についての考察の論を読んできたが、「怒り」を、これほど
肯定している本は珍しい。怒りっぽい私にとって救いになるが、考えてみれば
気が短いだけ。確かに怒りに光と陰がうかび出る。自分に怒り、相手に怒り、
社会に怒り、国家に怒り、運命に怒り、人生に怒っていたら、せっかくの
人生が台無しになるが、正当に怒れば、道は開けるというのか? 問題は、
ディオニュソスを、どう扱うかということ。本当に恐しい相手だが!
・・・・・・
4118, 財政恐慌 ー5
2012年07月04日(水)
「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子(著)
財政恐慌の原因について、明快にプラザ合意によるバブルと崩壊と指摘している。
悪いことに、国家リストラを建前でいいながら、政治家も国民も、目先の安易を

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07月04日(月)
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