ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383845hit]
■5447,閑話小題 〜何もかもが美味しいと思える幸せ
とは違うのだろうか。・・文というのは一つのまとまった内容をひと続きの
言葉で表したものです。多くは最後に句点(マル)がついています。その文を、
意味がわかるぎりぎりのところで短く区切ったものを文節と言います。
文の間に「ネ」を入れてみればわかります。「的確な(ネ)表現の(ネ)
文章を(ネ)書きたい」これは四文節から成り立ちます。この文節でつながる
文を二つ三つと重ねて、自らがとらえた事象を考え、意見などを筋立てて
書いたのが文章です。全体をたとえると、「いくつかも節のある一本の竹が
文で、何本も集まって形を成している竹林が文章です」。
その「いい文章はとは?」ですが、内容が的確に表現されているです。
文章は、その人自身のものでなくてはならない。・・体験は単に身の上に
起きた出来事ではありません。人間の意識が強く働いた結果なのです。
そのときに思ったこと、考えたこと、さらには織り成す感情とともに、大脳皮質
の側頭葉のところに長期記憶として保存されます。文章を書く上でその記憶が
必要になると、やはり大脳皮質にある前頭葉が「こういう記憶を」とリクエスト
します。ですから、自分というパーソナリティを形成している体験こそが文章の
最も大きな源泉、おおもとでして、作文というのはそのおおもとから記憶化された
自分自身を引き上げて言葉にする作業にほかなりません。といってそれらは
そのまま言葉になるというものではありません。第一、記憶自体、大喜びした
とか大泣きしたとか、特別な出来事を除けばそれほど鮮明ではないでしょう。
なかには部分的にしか浮かんでこないものもあると思われます。しかし体験も
言葉もすべては自分の中にあるわけ。それを投げ出さないかぎり文章化は不可能。
また文章は、自分にしか書けないことを、誰が読んでもわかるように書き直す
ことです。 ・・・ ≫
▼ 側頭葉残された「思い出」は、その人にとって意味があるから長期保存と
して残っている。だから、書き出せば、その意味の解明になるし読手も面白い。
記憶に残っているだけで意味があり、その人の本質が隠れている。文章を書く
のは恐ろしく面白いのは、そのため。脳は物語にすると記憶に残るのは、筋書き
を求めているため。で、こうして毎日「あれこれ」を起承転結にし纏めている。
記憶にガラクタしか残ってないのは、どうして?
・・・・・・
3976, 閑話小題
2012年02月13日(月)
* 冬は濁り酒と辛口の酒のミックスに限る
二年ほど前から10月から3月にかけて、濁り酒と辛口の酒を一対一の混ぜ
合わせて飲んでいる。濁り酒だけだと甘過ぎ、かつ癖が強いので、何気なく
紙パックの酒を混ぜてみたところ、これが良い。濁り酒は菊水酒造の「五郎八」
(1980円)。辛口は全国ブランドの普通酒を混ぜ、燗にする。
これに水代わりでノンアルコールビールを一本飲む。これで、酔いが襲ってくる。
濁り酒も色いろ飲んでみたが、値段の割りに「五郎八」が美味い。混ぜ合わせると
水割りにしたように和らぐ。慣れると麹の深みを感じる。一挙に酔いが回るため、
つい飲み過ぎることもない。3千円と千円の酒のミックスと、二千円の酒は、
どちらが美味いのだろうか? 以前、事務所の飲み残しの酒、何種類かを一本の
瓶に入れて冷蔵庫で寝かせて飲んだことがあるが、それが極上の味。
「吉田類の酒場放浪記」という番組で、京都の居酒屋の女将が色々の種類の酒を
カメに入れて当店ブランドにしていた。 自分ブランドは一合パック二つを
混ぜれば可能である。濁り酒と辛口酒のミックスは自分ブランド酒をつくって
いたのである。 混ぜないで二つを交互に飲んでみたが、辛口が負けてしまう。
ケチ臭い話だが、話題としては面白い?ホットビールとか、焼酎のビール割とか。
・・・・・・・
3611, 大相撲八百長事件 ー3
2011年02月13日(日)
二人が勝ち負けを決する個人競技である限り、そして個人の意思が携帯電話や
パソコンで簡単に行き来できる現在、「八百長をするな!」という方に無理ある。
[5]続きを読む
02月13日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る