ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[383697hit]

■5436,人生で最も大切な技術 ー⑯ 自分の一番の敵(苦脳)への即効薬は
 真理と真実を直感したまま書き続けると、分別がついたように錯覚に陥るが、
 愚者の真実は気違いに刃物? 相手を思いやる嘘こと必要である。 
   * 失敗には安らぎがある
 『それは前に数学の試験に失敗して、かえったほっとし、解放感があった時に
 似ていた。失敗というのは明快で、そして確実なものだ。確実なものの中には、
 いつも安らぎがあるのだ。』ートルーマン・カポーティ「最後の扉をしめよ」
 ▽ 強がりか、居直りかもしれないが、<つまずき>の半年辺りから、奇妙な
 心の安らぎが出てきた。不確実な日常の45年間の緊張が切れたこともあるが、
 この安らぎは思いの他。私自身が招いた因果応報と認めれば、人の思惑など
 考える必要もない。実際に経験してこそ分ること。「会社を綺麗に後継者に
 引渡すより、全て失い独り佇んでいる方が良いのでは?」と思ったのは、
 確実なものの中に心の安らぎを感じたため。前者は解放はされなく不安が
 常にまとわりつく。 道理は何処も同じ!である。
・・・・・・
4340, 自己とつきあうということ −6
2013年02月02日(土)
   * ソクラテスと自己の問題     
 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著)   
「人間は無知であり、無知であることに対しても無知である」というソクラテス
の言葉が広く知られているが、それを本当に我われは理解しているかというと
疑問である。無知を自覚した上で、良く生きること、己の心と魂に配慮すること
と2500年も前に、ソクラテスは気づいた。 ーその辺りを抜粋してみる 
≪ ー汝自身を知れー  吟味することのない生は生きるに値しないと見なし、
 よく生きることこそ人間のつとめだと考えたギリシアの哲学者、ソクラテス
(前470〜399)も、自己へ配慮することの重要性を力説した。神殿の壁に記された
「汝自身を知れ」は、神から人間にくだされたメッセージであり、永遠の存住と
しての神と異なり、つかの間の生を生きて死ぬほかはない人間に与えられた
「身の程を知れ」という意味のこめられたものとされる。その言葉は、神殿に
訪れる者たちに「神に過剰なことを望んではならぬ」という自戒を促すものと
みなされる。・・ 。それゆえ彼が強調したのは、おのれの無知に気づき、
すこしでも無知でない状態へと自己を導くことであった。そのために、自己は
配慮されなければならない。無知な状態に脱して、真の知を得るためには、
よく生きる努力、自己の魂への配慮を欠いてはならない。そうしたソクラテス
の信念は、『ソクラテスの弁明』のなかのアテナイ人への呼びかけに明らか。
【 世にもすぐれた人よ、君はアテーナイという、知力においても、武力に
 おいても、最も評判の高い、偉大な国都の人でありながら、ただ金銭を、
できるだけ多く自分のものにしたいというようなことにだけ気をつかっていて、
恥ずかしくはないのか。評判や地位のことは気にしても、思慮や真実は気に
かけず、精神をできるだけすぐれたものにするということにも、気もつかわず、
心配もしていないというのは。】
 金銭欲や名誉欲といった誰もがとらわれやすいものから、真実をめざして
精神を配慮する方向への転換を説くソクラテスは、当時、嫌味な老人として嘲笑
と反発を買ったかもしれないが、自己に向かう態度を頑固なまでに強調している。
彼は、自己が金銭や他人の思惑などにひつばられやすいものであり、それゆえに、
そうした方向を制御して、ひたすら「自己自身をよくすること」につとめなければ。≫
 ー「よく生きる」という実践ー  しかし、自分自身をよくするとは、いったい
どうすることなのか。「大切にしなければならないのは、ただ生きるということ
ではなくて、よく生きるということなのだ」というソクラテスの周知の言葉は、
どのように理解されるべきか。彼は、よく生きるの「よく」を「美しく」とか
「正しく」と同じ意味で理解すべきと主張しているが、そのために必要なことは、
ブッダの主張と同様に、もっぱら自己の心、魂に配慮することである。≫

[5]続きを読む

02月02日(火)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ

[4]エンピツに戻る