ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5354,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー⑤
そういさう「仮の役割」を持たせたということ。同じコップを「水を注いで
花を挿すもの」と認識することもあるでしょう。このように、世の中のすべて
を、役割を持たされた仮の存在と見るのが「仮観」です。
 釈迦がすごいのは、「空観」と「仮観」のどちらも欠いてはいけないと
わかっていたことです。すべてを「空」だと知ったうえで、同時にすべての
ものに「仮」の役割を見いだしていくのです。すると、結局のところ、
世の中に何一つ、役割のないものは存在しないということがわかります。
この考え方を「中観」といいます。中観こそ、私たちが最終的に目指す
べき境地だといっていい。
◎「一億円持っているから幸せ」とか「1億円の負債があるから不幸」
 と感じるのは、本当はいずれも幻想に過ぎないことを知るのが、空観方式。
ただし、どうせ同じ幻想なら、自分の望むようにゴールを設定し、徹底的に
目指すほうが途中の過程を楽しめます。
◎「じゃあ、実際にどんなものか、1億円を稼いでみましょう」と、
 仮のゴールとして設定するのが仮観方式です。注意すべきは、その達成で
得られる「幸せ」は、あくまで「仮観」。幸せの仮の姿と知っておくことです。
知っていれば、実際にお金持ちになっても、「もっとお金がないとイヤだ!」と
思うような不幸は起こりません。要は、煩悩に振り回されないよう、ということ。
◎そこで大事なのが、「止観」という考え方です。煩悩をいったん
「止めて、観る」のです。といっても、難しいことではありません。
煩悩が暴走してしまうのは、その衝動を意識できていないからです。
意識さえしていれば、コントロ!ル下に置いて、暴走を防ぐことができます。
意識するには、自分の煩悩を少し脇に置いて、客観的に眺めてみればいいのです。
「止観」によって、自らの欲求を認識することは、抽象度の上がった世界から
眺めることにほかありません。そこから眺めれば、欲求は自然とコントロール
できます。それを続けることにより、中観の境地に至っていく。》
▼「中観に至ると、ありとあらゆる価値観の束縛を超えながら、この世で真に
 自由に、自らの望む役割を果たすことができ、他のあらゆる存在も、それぞれ
の役割を果たしているだけであり、そこに一切の上下関係などないことが
わかってくる」 私たちの本来、持っていた自由と、親とか学校教育で教え
られた自由と違うことが、中観に至るとわかってくる。
ところで、武澤ゼミで教わった真髄は、この中観の目線だったのでは! 
一つ間違えば、私のようになるが?
・・・・・・
4257, しまった!  ー6
2012年11月11日(日)
 * 人は、あまりに楽観的過ぎる!
     ーしまった!「失敗の心理」を科学するージョゼフ・T・ハリナン著
 人は楽観的の方が気楽で生きやすい。しかし、それが人生に失敗をもたらす
大きな危険を呼び起こすとしたら、問題は別。バブル崩壊後の失われた20年
は「根本問題から目を背け、経済成長に戻る」という楽観論に惑わされた結果。 
根本問題は、東西対立が終わり米国が地政学的に日本に対する特別待遇の
必要性が無くなったことと、アメリカの衰弱、少子化、そして情報化による
グローバル化の結果である。その前提が変化しているに関わらず今だ成長路線
への修正を目指している。あまりに楽観的である。間違いなく、10年後には
国民の生活レベルは現在の半分以下か、三分の一になる。著者はここで、
大学の色々な実験結果を示し、人間は昔から自分の記憶をいいように、自己
満足するように再構成する性を指摘している。たとえば親は、実際よりも
専門家の意見に近い子育てをしてきたと信じてきたし、ギャンブラーは、
負けより、勝ったことを、こと細かく記憶している。それぞれの顔を何割か
良くした修正写真と、修正前の写真を二枚並べて、どちらが自分に近いかを
問うと、確実に修正写真の方を選ぶという。人間は自分に都合よくものを
見たり思ったりするもの。人間で凄いのは、とにもかくにもモノゴトを考え
ようとしないこと、楽観的すぎるということである。更に悪いことに結果を

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11月11日(水)
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