ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5336,島地勝彦の〜柴錬、今東光、開高、乗り移り人生相談〜 ー③
{ 一言でいえば、雨の愛しみ方について書かれた本。
「降り止まない雨はない」という言い方をされて忌避される雨だが、
この本を読んでみると子供の頃の雨への新鮮な感覚を思い出す。砂利道に降り
始めた雨と土の匂い、雨は何処から降ってくるのかを確かめるために雨天のなか、
天を仰いだこと、夕立の清々しさ、長靴で水たまりを選んで歩いた記憶。
それは私にとっては両親、祖父母に愛されて育った記憶へと繋がり、安らかさ
へと導かれるものだ。この本は「何の変哲もないものに喜びを見出す」
というローホー氏の真髄の一つだろうと思うし、この本を読んで雨の日を
楽しめるようになれば、人生の不自由からまた一つ開放される様に思う。
雨の休日には本棚から取り出して読み返したい本。誰でも人生は自由なのだな
と改めて思った。次回作を心待ちにしている。}
▼ ここで、「雨を好きになり、雨を眺め、雨音に耳を澄ますようになると、
 不思議と一瞬一瞬をより深く、存在意識を持ちながら味わえるようになる。」
と述べているが、やはり老齢期に、独り、昔を思い出しながら、深くため息を
つく味わいが嬉しい。「雨は私たちの内面の自由への扉を開き、詩情、また
「超越」という概念にも気づかせてくれる。雨は現在に生きることの大切さ、
自然の制御できない性格なども分からせてくれる。そう、自然をより美しく、
そして自然を私たちに合わせるのでなく、私たちが自然に合わせるようにと、
雨は私たちに喚起しているのだ。」の、最後の結びの言葉がよい。ーつづく
・・・・・・
4229,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー4
2012年10月24日(水)
「ルーツ大全」インフォペディア編 より
   * 戦国時代の日本にティーバッグがあった!
≪ ティーバッグは、まず紅茶にはじまり、最近では日本茶やウーロン茶など、
 さまざまな種類が発売されている。ティーバッグのはじまりは一〇〇年ほど
前のニューヨークである。トマス・サリハンという紅茶の商人が紅茶葉の
サンプルを絹の袋に入れておいたところ、客の一人が誤ってそれにお湯を注いで
飲んでしまった。それをヒントにして一杯ずつの小分けにして売り出されたのだ。
一方、日本では、早くも戦国時代のころからティーバッグがあった。
もっとも、中身はお茶ではなく薬だったが仕組みは同じで。戦乱の続く当時、
刀や槍で受けた傷を治療する「金創医」と呼ばれる医者たちが活躍していた。
戦場ではのんびり薬を煎じている暇などない。そこで金創医たちは、細かく
刻んだ薬草を配合して布の袋に入れ、熱湯を注ぐだけで短時間のうちに薬が
抽出できるようにしておいた。これは「振り出し薬」と呼ぼれ、携帯にも
便利なので、武士たちも重宝していた。金創医は、平和な時は産科医を
している者が多かった。戦場の傷之お産は、大量の出血を処置するという点
で共通していた。今でも、婦人病の漢方薬に袋に入ったものがよくあるのは、
金創医が処方していた名残である。≫
▼ 必要は発明の母というが、人間は必要に応じて知恵が出てくるもの。
 即席ラーメンが発売された当初、日清のチキンラーメンがあった。お湯を
注ぐだけで三分で手軽に食べることが出来た。しかし、当時ベトナム戦争で、
ベトナム兵や、ゲリラのベトコンの携帯食としておおいに売れたという。
彼らは戦場で、それをカジリ食べていた。学生時代の昼飯として、
よく食べていた。
 ・・・・・・
3864, 嘘みたいな本当の話 −2
2011年10月24日(月)             
 * さかさまな世界-  
        「嘘みたいな本当の話ー高橋源一郎・内田源一郎ー選」     
 狭い個室のなかで僕は格闘していた。冷や汗が止まらない。段差ぎりぎりに
踏み込む足裏が痛い。右手をそっと後ろへ伸ばす。もっと伸びないものかと、
左手で右肩側方へ押しやる。指先がそいつの先端にやっと触れた。大学に入学
して初めてのバイト先。苛立った僕はその後、事務員の女たちに愚癒をこぼした。
「あそこって不親切なつくりですよね。手を思いっきり後ろへ伸ばさないと

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10月24日(土)
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