ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5276,閑話小題 〜静かなる恐慌が表立ってきたか
百種類のポーズのうち、一回につき10数種類はする。そこで言うのは、
「周りの人の視線は無視してください。 マットの上は、それぞれの全宇宙。
独りの世界の入って下さい。他人ではなく自分と向き合って下さい。」と。 
スタジオはカーテンで外の光が遮られ、照明を落とした薄暗い中、チャンドラ
などヨガの空気にピッタリの音楽が流れ、数分でヨガ世界に引き込まれる。
そこで、直ぐに家で取り入れたのが、瞑想と、死者のポーズである。
死者のポーズは、仰向けの瞑想と思えばよい。仰向けになって。両目を閉じ、
両腕と両足は少し大の字気味に開き、全身の力を抜いて、チャンドラの音に
気持ちを向け、戦場の死者のように横たわるイメージを持つ。
毎回、最後の5〜10分は仕上げに行うが、これが疲れを取ってくれる。
ここで感じるのが「大人数の中の、ひとり」。気持ちの集中で、殆ど他人を
気にすることがなく半睡状態になる。それは、一時間の睡眠の効果に当たる。 
仏壇前の、早朝の瞑想は30分、死者のポーズは、やはり午前9時〜20分間、
行う。夜半に目が覚めた時に、大の字になって、気持ちをヨガをしていると
思えば、それをしていることになる。問題は、呼吸を小波、中波、大波が
岸辺に打ち寄せるイメージですること。何事もそうだが、続けること。
この二つだけでなく、他にもヨガのポーズがチョットした仕種の中に入る。
居間でTVを見ている合間に大の字の姿勢で、両手、両足を目一杯伸すとか、
歩いている時に背筋を伸すとか・・・ 
・・・・・・
4169, 老年行動学 ー5
2012年08月25日(土)             
  * 老生自覚       
     「ご老人は謎だらけ 老年行動学が解き明かす 」佐藤 眞一 (著)  
≪自らの老いを自覚することを「老性自覚」と呼び、老性自覚には
 「内からの自覚」と「外からの自覚」あります。
△ 内からの自覚には、物が見えにくくなったり耳が遠くなったりする
 「五感の能力低下」、しわや白髪が増える、歯が抜けるなどの「身体的徴候」、
 もの忘れが増えたり、計算が遅くなったり、根気がなくなったりする
 「精神的な減退」などがあります。
△ 一方、外からの自覚には、子どもの成長や孫の誕生、配偶者や友人の死、
 定年退職、他者からの老人扱いなど、「社会的なできごとや経験」があります。
このような老性自覚は、「老い」にネガティブな意味だけでなく、ポジティブな
意味も感じていた時代には、当たり前のこととして、自然に受け入れられていた
のかもしれません。しかし今は、そうではありません。第1章で述べたとおり、
現代人は老いを感じると、暦年齢を主観年齢に合わせるべく、アンチエイジング
に励みます。また、身体の状態も75 歳〜80歳ぐらいまであまり下がらずにきて、
最後の数年でガックと落ちるのが今の老人です。日本人の場合、介護が必要に
なるのは平均して寿命の1割、7年間か8年間程度なのです。つまり現代の日本人
には、極端にいえば老年期がなく、壮年期のあと直ぐに死と向かい合う時期が
やってくるのです。このことは「死に対する準備ができない」ことを意味します。
老性自覚を自然に受け入れ、心も体も徐々に老いていった時代には、
自身が老人になることや死ぬことを、自然に受け入られたのだと思います。≫
▼ 人は脳卒中や心臓発作などで病院に運び込まれたり、死に直面する病気に
 直面し逃げ場のない状態に追い込まれた時や、自信を失ったときにガックと
老いるのである。老人は自分が失敗したことで自信を失うのではなく、周囲が、
それを繰り返し指摘することで生きる気力を失うことが多い。だから周囲は、
これに気づく必要があるが、現実は甘くはない。少くとも服装と言葉と運動量は
注意しておく必要がある。「一年後は無いかもしれない!」を常に意識しているが
・・それでも一期一会の気持が甘くなる。仏壇に祖父の遺影があるが、私より
10歳若い57歳時だが、80歳近くに見える。目先を精一杯生きるしか
ないが、果たして死に際、冷静でいられるのだろうか? 

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08月25日(火)
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