ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5195,魂が擦り切れるまで哲学に徹したか
2013年06月05日(水)
「余命半年 満ち足りた人生の終わり方」大津 秀一著
老いるにも準備が必要であるが、死ぬことにも準備が必要のようだ。
「あと余命半年」と悟った時に何をするか?その時には、苦悩と苦痛が頭を
占めて殆ど何もできない。あと半年と悟った時、「準備をしてきて良かった」
と言えるよう、普段から一歩ずつ足を踏みしめて生きなければならない。
それにしても、それほど遠くない未来に、余命半年+−数ヶ月の余命を宣言
されるか、自分で悟る時がくる。これが脳溢血、心不全、交通事故など瞬間死
の数倍の確率というのが現実である。その瞬間から悟りすまして生きるなど、
無理。それまで積み重ねた知識と経験と覚悟を持って、平静に保つしかない。
ーまずは、「はじめに」より抜粋---- (要約でもある)
≪「あなたの余命は半年です」突然そう宣告されたら、あなたはどうする
だろうか? とりあえず遺産をどうするか、そこから手をつけるだろうか。
あるいは、かねてより行きたいと思っていた海外に旅行に出かけるだろうか。
いずれにせよ、ぼやぼやしていたらあっという間に半年など過ぎてしまう。
半年・・・たった六ヶ月である。「命はそれまでですよ」と告げられたあなたは、
その半年の間にやるべきことをすべてやり、心にも折り合いをつけて最後を
向かえることが出来る自信はあるだろうか? ・・まさに人の数だけ物語があり、
バッドエンドもハッピーエンドもある。ある時から、私は何がこの二つを
分けるか、あるいは、ある人の終末期に光が包まれるのに、ある人の終末期に
色濃い闇に閉ざされるのか疑問に思った。 結論から言うと、老いる前から
老いることを、病気になる前から病気になることを、死ぬ前から死ぬことを
考え、そこで悲観的になるのではなく、だからこそ一足一足を踏みしめて
生きようと、そう思った人間にはそれ相応の最期が約束されるということが
わかった。老いること、病気になること、死ぬこと、それを事前に考えるのは、
ものすごく精神力を使い、大変な作業である。ともすれば抑うつ的になって
しまうこともあるだろう。しかし、その差は必ずいつか出る。ひょっとすると、
最期ばかりか、明日からも大きな差となって現れるかもしれない。・・ ≫
▼ このところ、老い、病気、死についての本を読むことが多い。
読んでいると安らぐのである。どっちにしろ、そう遠くない先に直面する。
その時になって、急ごしらえの準備は、それでしかない。しかし、この本も、
健康時からの心得、病初期・病中の心得、病末期の心得、死の心得と、
段階をおってるから、シビアで引き込まれる。緩和医療のお医者さんもあり、
著者は、その実態を紹介することで不安を少なくしたいのが、この本の主旨。
「精一杯生きました。悔いはありません」そういって誇らしげに言える
ための準備、それは「今を幸せに生きる」こと。
・・・・・・
4089, 老いの見本帳ーダークサイト −9
2012年6月5日(火)
「老いへの不安 歳を取りそこねる人たち 」春日武彦(著)
* 役割としての「年寄り」
ここで、「老人と年寄の意味合いの差は、喧嘩の仲裁ができるかどうか」。
村の長老は、争い事の仲介者としての役割が最も似合っている。若づくりを
した粋な老人も良いが、何もかもしりつくした重みのある長老も良いもの。
≪【老人と年寄り】 老人という言葉には、老化現象の起きた人間とか老衰
間近の人間といった印象を覚えてしまって、好きになれない。老人ホームとか、
老人病院といった具合に。それよりは「年寄り」といった呼称のほうが、経験
や年輪を重んじている気配が感じられる。相撲界でも年寄株は必ずしも高齢者が
持つわけではないし、江戸時代の武家では役員待遇的な意味合いではなかったか。
長老、なんて尊称も最高齢者というよりは「年寄り」に近いニュアンスであろう。
わたし個人の勝手なイメージでは、年寄りとは喧嘩の仲裁ができる人である。
「ここはひとつ、年寄りの顔に免じて堪えてくれんかのう」と言えば、
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06月05日(金)
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