ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■5189,閑話小題 〜父親の42周期に
感じるようになった。 全てが自分一人の判断しか頼りにならない。とはいえ
決断しようにも自信がない。そこで自然と「自分が父だったらどうしただろう?」
の自問自答になる。そう考えると、幼児の頃から父は直接、間接的に多くの
ことを教えてくれていた。経営学とかの理論は、実践の場で直接役に立たない。
頼れるのは場当たりの直感だけである。事業を始めてから現在まで、子供の頃
からの両親の教訓が役にたったことか計り知れない。しかし終わってしまえば、
それまでだが、自分がやりたいことが創業ビジネスだったので、現在の結果は、
殆んど後悔はない。創業を幾つか楽しんだ結果、三つの経済災害で終わったが、
と本心から思えるから有難い。失う哀しみは、いずれ味わう時期がくる。
順調に後継者に引き継いでもである。それなら綺麗さっぱり、根こそぎ洗い
流されてしまえば諦めがつくというもの。この結果は、ワーストでもなく、
ベターでもなく、ベストだったのかもしれない?。 世界恐慌の直前もあり、
ベスト? 父が生きていて私を批判するなら、「調子に乗りすぎて、天合を
欠いたな!」。 新潟駅前で500室は過剰だったかもしれない。
それでも父は、「その結果に押しつぶされる方が大問題。撤収は、正解!」
と言うはず。 世界も、日本も、この異常事態なら当然。
・・・・・・・
3717、閑話小題
2011年05月30日(月)
* 今日は父親の38周忌
父親が亡くなって38周年。私には生前の父親の存在があまりに大きかった
ので、亡くなった日が、第二の自分の誕生日と思うほど。その時が精神的自立
の時だったようである。毎年のように同じようなことを書いているが、八人
兄姉の末っ子で、父親は特別に私を大事にしてくれていた。その意味で、私の
人生は当たりと信じている。両親の愛情の分量が、自分という存在に対して、
肯定的になれるかどうかの境目になる。父が亡くなって38年という歳月は、長く、
刺激的な日々であった。結果として、この事態(倒産)になっても、時代背景
に飲み込まれたと諦めがついている。 父から学んだことは、金銭哲学である。
『死に金を使うな、普段の生活を節制し、使うべき時は使うこと。事業を通して
人生を楽しむこと。趣味は大事にすること。』 大筋は、こんなものだが、
人生の何たることか、両親の生き様を通して学べたことは、本当に良かったと
思っている。この事態でも、両親の子供のころ見てきた苦労からすれば、数分一
でしかない。だから、平然?としていられる。事業を起こし、維持し、そして、
消滅させる物語は、そう甘い要素で成り立つ訳がない。その前提を知っている
から、その辺の輩の批判、罵倒は無視出来る。それにしても、自分の息子に毎年、
このような追悼の文章を書いて貰える父も幸せ?である。これが私の供養である。
* 地震保険について
・・・・・・
3352, 父の命日(37周年)
2010年05月30日(日)
毎年、父の命日に思い出や人となりを書いていると、多くのことが記憶の
彼方から思い出される。思い出し、書くことが父にとっての供養と思っている。
「過去の所業と思いが魂」と仮説を立てると、
「両親と子供の頃の思い出は魂の故里」になる。これまで書いてきたが、
父は典型的な明治人で、シャイな性格。 長男で実家の古美術商を引き継ぎ、
第二次世界大戦の戦時中は骨董は売れなくなったため、兵隊の戦死者が多くなり
仏壇と仏具の販売で乗り切った。終戦直後は古着の売買に転進、その後、衣料品
量販店に切り替え、地方では小さいながらも名をなした。古美術商の時代には、
地元出身の山本五十六や、ツガミの津上退助、そして野本互尊などに骨董品を収め、
時代の潮流の情報や薫陶を受けたのが人生をプラスにしたベースになったようだ。
その結果、「情報の先取りと長期的視野と、転進が、人間の一生を左右する」
というのが持論にあった。それは教養によってベースが築かれることを彼らから
学んだようだ。 学歴コンプレックスも大きかったが、それがバネになった。
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05月30日(土)
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