ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■4882,閑話小題 〜草食系男子のつくられかた!
深さを感じさせられる。私も夢で数知れないほど、奥の深い内容のものをみてきた。
【ーP/242ー もう一人のユソグ派の分析家J・マーヴィン。スピーゲルマソは、母親と娘と
老賢人に出会った洞窟での「空想」で、24歳のときに能動的想像の技法を獲得し始めた。
ある日騎士があらわれ、母親と娘をさらって行った。その騎士は、自分は話すべきいくつかの
話があり、また話を口述させたい「数人の他の人が自分の国」にいると説明した。 
それからスピーゲルマソは数年を費やして、騎士、尼僧、色情狂の女性、老いた中国人、
その他の人々が口述したいろいろな話を書き留めた。これらは、四巻の本になって出版された。 
あきらかにスピーゲルマソはブラッド・と同じ技法 ーつまり「別の自己」が内気を克服して
自分を表現するがままに任せる方法を用いた。そしてその結果は、多くの点で似ていた。 
このシリーズの第四巻『騎士』(「一九八二年)のなかで」スピーゲルマンはきわめて重要な
ことを観察している。すなわち、能動的想像を実行するのに成功すると、「共時的な事件が
規則的に起こり、きわめて神秘的な方法で世界とかかわりあえる」ことを観察した。
起こることは、内部的な仕事によって世界との関係がともかく変わることだと、
スピーゲルマンは言っている。それから彼は、雨ごい師の重要な話 ーもともとは
リヒアルト・ヴィルヘルムによってユソグに告げられた話を述べている。
< ヴィルへルムは、旱害に苦しんでいる遠い中国の村にいた。雨ごい師が遠い村から招かれた。
彼は村はずれにある一軒の小屋を所望し、三日間そこから外に出なかった。 その後土砂ぶりの
雨になり、ついで雪が降った。これは一年のその時季には前例のないことだった。
 ・・ヴィルヘルムは老人に、「あなたはどういうふうにして雨を降らしたのか」と聞いた。 
老人は、自分がそれをしたのではないと答えた。「私はあらゆることがきちんとしている国から
やって来ました。雨が降るぺきときには雨が降り、晴れが必要になれば晴れます。
人々自身がきちんとしています。ところが、この村の人々はみな、道からはずれていますし、
自分自身からもはずれています。 私はこの村に到着してすぐに、それにうつり(感染し)ました。
それで、私は一人になれるように、村はずれの一軒の小屋を所望したのです。私がもう一度道に
かなうようになったとき、雨が降りました」と。「道と自分自身にかなう」と老人が言っていることは、
ユングが個性化と言っているもの。脳の二つの半分の間に適切な交通があった。> 
雨が降らない村の人々は、左脳の自我で支配されていた。左脳の自我は、もろもろの問題に
過剰に反応する傾向にある。・・アメリカのハワード・ミラーは、人間には既に、ある形の能動的
想像を持っているとミラーがいっているのは実際には、右脳は オーケストラ、左脳が指揮者だ
ということ。】
▼ 連続シリーズの夢は一種の能動的想像になるのだろうか。人は夢日記をつけると、
つけないとでは、大きな違いが出る。 夢は、潜在意識を覗く手立て。それを記録にして書き残す
習慣は、考えてみれば自分を知る一番の方法である。父親の初七日に、父のベッドでみた夢
(以前にも書いたことがあったが)。父親の魂が私に入れ替わってしまった夢である。 
父がガン末期で、死の恐怖と闘っていた時に、傍にいて、それが直に伝わってきていた。
そして初七日に、その恐怖心が、そのまま夢で、体感したのである。問題は、それから。
ハッとして目覚めたとき、父親の自分が、私として存在している奇妙な実感である。
それから、私に10年以上、変な感覚が身についてしまったのである。
今から思うと、その感覚を使って、もっと見るべき世界を見てきた方が良かったが、
それは今だから言えること。自分の内なる沼には、底知れぬ深さがある。
・・・・・・・
3410, この国の終わり −6
2010年07月27日(火)
 * 日本の余命はあと僅かである  (P・107)
 どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに超えていた。

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07月27日(日)
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