ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[407990hit]
■4614, 2000年前のポンペイー6
その狭い場所では安全とは言えませんでした。ついに私たちは町を出る決心をしました。
私たちの後には茫然となった群衆が続きました。
人は突然激しい恐怖に襲われると、自分の決断より他人の決断に従う方が賢明だと考えるらしいのです。
(字数の関係でカット 2013年11月3日)
・・・・・・
2004/11/13
1320, 2000年前のポンペイ −3
小プリニウスの「手紙」−1
ポンペイについて書いた直後に地元の新潟中越地区に大地震がおきた。何かの偶然の一致だろう。
ポンペイの遺跡から当時の情報が多く知ることができた。歴史から忘れられたポンペイの遺跡が発見され、
発掘が始ったのが18世紀の半ばであった。そして現在に至るまで250年にわたって発掘が続いている。
まだ発掘してないところが多くあるという。
歴史家のタキツゥスが、書の中で当時のある若い青年の手紙を残していた。当時まだ17歳だった青年の2通の
手紙が当時の模様をこと細かく整然と後世に伝えていた。その文章を読んでいると、その一言一言が身に沁みる。
その青年とは、当時、地中海艦隊の司令官としてナポリ湾岸の町ミセヌムに駐在していた大プリニウスの甥、
小プリニウス(61年頃〜112年頃)である。歴史家タキトゥスの求めに応えて書いたこの手紙は、ローマ帝国内の
美しい都市に起きた大惨事の貴重な目撃談となっている。
この手紙を読んでいて、彼の驚きと当時の若い彼の興奮がそのまま、2000年の時空を超えて伝わってくる。
「言葉を持つことは魂を持つこと」という言葉の重みを実感する。
発掘された遺跡の姿そのものが、そのまま人間の変わらない生活と真実を伝えている。
ーー
小プリニウスの「手紙
ー6月16日の手紙
伯父の死をできるだけ正確に後世に伝えるため、あなたに手紙を書くようにとのご依頼を受け
私はとても嬉しく感じました。というのは、伯父の死があなたによって書き留められることで、
彼に不滅の栄光が与えられると考えたからです。恐ろしい災厄によって死んだために、伯父の死は、
他の被害にあった住民や美しい町とともに永遠に記憶されるでしょう。
また、伯父自身、後世に残るであろう多くの作品を書いています。しかし、それに加えてあなたの著書に
書き留められるとすれば伯父の歴史上の記憶は、より確かな、永遠のものになるはずです。
私は思うのですが、歴史に残るようなことを行うか、あるい、は価直のある文章を書く能力を神から
与えられた人は恵まれた人であり、しかもこの能力を2つとも与えられた人は、最も幸せな人です。
私の伯父は、彼自身の著書とあなたの御著書とによって、そのような恵まれた人物の一人となるでしょう。
というわけで、私はあなたの御依頼をお引き受けいたします。いや、むしろこちらから進んで手紙を書かせて頂きます。
伯父はミセヌムにいて、船団の指揮をとっていました。異様な形の巨大な雲が現れたことを母が伯父に
知らせたのは、9月の第1日より9日前(8月24日)の第7時(午後1時)頃のことでした。
伯父は日光浴と冷水浴をしてから軽い食事をとった後で、ちょうど仕事の最中でした。
伯父は靴を持って来させると、その超自然現象を一番よく観察できる場所にのぼりました。
見ると雲が湧き上がっています。遠くからではどの山から出ているか分かりませんでしたが、やがてヴェスヴィオ山から
出ていることが分かりました。まるで松の木が巨大な幹を上に向かって伸ばし、小枝を空に広げたような形の雲でした。
多分、蒸気によって吹き上げられた噴煙がしだいに自らの重みによって横に広がり、そのような形になったのでしょう。
雲はところどころ白く、また土や灰を含んでいるところは灰色に汚れていました。 博学な伯父には、これがもっと
近くから観察すべき大事件であることが分かりました。伯父はリブルニア式ガレー船(2段擢の軽装傭船)に部下を乗り込ませ、
私にその気があれぱついて来てもよいと言いました。
私は勉強しているほうがよいと答えたのですが、そう答えたのは、他ならぬ伯父から課題を与えられていたからです。
[5]続きを読む
11月03日(日)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る