ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■8103,,閑話小題 〜つれづれに・・・ 来るときが来たのか? 〜(2)
◉ 時間の浪費ほど大きな害はない。
◉ どれだけの労力を注ぎ込んだかを知れば、天才なんて呼べないはずだ。
◉ 千の歓びも一つの苦しみに値しない。
◉ 主よ、私がいつも、成し得る以上のことを望むことを許したまえ。
◉ 優れた絵画とは、まるで彫刻のように見えるものである。
◉ 死と愛は、善人を天国へと運ぶ二つの羽だ。
◉ 私がこの芸術の域に達するまでに、どれほどの努力を重ねているかを
知ったら、芸術家になりたいとは誰も思わないだろう。
◉ 羅針盤は手の中にではなく、目の中に持つことが必要だ。
何故なら、手が実行し、目が判断するからだ。
◉ 私は、出来うる限り私の命を永らえるために、神が私に与えられた
芸術分野で働いている、貧しく価値のない人間だ。
◉ まだ彫られていない大理石は、偉大な芸術家が考えうるすべての
形状を持っている。
◉ おおよそ完全無欠な仕事というものは、多くの小さな注意と、小さな
仕事とが相集って成る。ゆえに大事を完成するものは、細心の注意と努力。
◉ 真の芸術作品は、神が与える完成の影に他ならない。
◉ どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事。
◉ ダビデではないもの(すべきではないこと)をすべて排除すれば
(すべて否定すれば)、素晴らしいダビデ像を完成することができる。
(素晴らしい人生を送ることができる)。
こうした思考法をキリスト教神学の分野で『否定の道』と呼ぶ。
これまで生きてきて思いしるのは、長年かけて地道に築き上げた蓄積が、
些細な逆上せ上りの為に、一瞬で消え去ること屡々。釈迦の説法、屁一つ。
いずれにせよ、
@原初の存在は言葉(論理・理性)である。
A神は言葉(論理・理性)である。
B世界のすべての存在は、言葉(論理・理性)である神によって創られた。
という3つの命題が、端的な真理として、真理探究の方向性としての
肯定の道の形式で語られていることになります。 ≫
――
▼ <千の歓びも一つの苦しみに値しない>
<まだ彫られていない大理石は、偉大な芸術家が考えうるすべての
形状を持っている>
人生そのものの格言になるが、
・・・・・・
6305,読書日記 〜『死の準備教育』 ー1
2018年06月18日(月)
〜『死の準備教育』曽野綾子著より
* 死ぬまで5分間我慢する
曽野綾子女史の言葉である。死について数多の書物を読んできたが、
この一言は、「強烈」である。 たった、これだけのこと誰が教えてくれた?
【私は弱いから、暗示がよく効いたのである。私はいよいよ或る種の男よりも
強くなり、ますます、女らしくなった。何にせよ、いつ死んでもいいと思うこと。
死ぬまでに5分我慢すれば死ねる、と考えることは、私の精神の安らぎに役立った。
私はその5分間に決して平成ではあり得ないだうけど。】
―
▼ そうか、5分か! イメージとして、先だった家族に囲まれてボンヤリ
消えていく。こらなら、イメージコントロールが出来る。面白そうである。
しかし、死期を悟って、最期の5分に至る道は地獄道である。煉獄といういう
のが、それだろうか? 恐怖心がつくり上げた究極の心理状態で、恐れて待つ
より、早く、その5分後先の安楽を期待する方が、気持ちは遥かに楽?
生まれてきたからには、どのみち、死ななけらばならない。
どのみち、人生、プチッで、終わるのだから。 暗い? 暗黒の中心点を
凝視するしかない、この問題は。そうしないと灼熱砂漠の真只中で慌てるよ。
――
* 死の果たす役割は、平等の『死』である
死の清算があるからこそ、面白く、味が出てくるのである。死からすれば
全てが夢幻である。人生で、何が面白いかといえば、死ぬからである。その
当り前のことを、我々は忘れてしまい、無駄に人生を過ごす。
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06月18日(日)
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