ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6869,閑話小題 〜去年の同月同日の『どん底』と読返して
えたが、心の葛藤は生易しいものではない。清算後、一年ほどしてから、
‘引継いだ老舗会社を清算した男’と飲み会で同席した時、私にシミジミと、
『この結果と、現状に本当に満足している』と話しかけてきた。
同病、相憐れむ感もあったが、
『全く同感。現に直面しない第三者には、この感覚は理解できない。
以前の受難も含めて、これで一人前になったのでは?』と、偉そうに…
プラスも、マイナスの事態もエネルギー量は同じ。マイナス同士を掛け合わ
せるとプラスに転換。受け止め方で、先の女芸人のように如何様にもなる。
メジャーリーガーの大谷選手の精神的支柱が『中村天風』の言葉と、当時、
知った。『積極一貫』で、何ごともプラスに転換の精神論だが、一理も、
二理もある。 群れず、明るく、上を向いて生きるしかないのが人生の基本。
最後は、この辺りになっていく。しかし、10歳まで既に決まってしまってる?
明日は武田鉄矢の「どん底」を、テーマにする。
どん底って、原石が隠れているんだよ… 問題は気づくか、如何かだがね!
「にっこり笑ってハンカチーフ!」 だって自分を笑うしかないでしょう!
それも腹の底から。笑ってくれる人に感謝しなくては。だって、そうでしょ!
それ以上に自分を笑わないと意味(価値)が無くなるから… ねえ、世間様。
99里は、道半ば。胸突き八丁。成るほど、73歳から見えてくる世界は、こう
いう目線になるのですか。 虚空の一端が錯覚としても実感できるからね。
・・・・・・
6505,閑話小題 〜つれづれに、
2019年01月04日(金)
* 「人生のどん底」 〜両親の壮絶!
NHKの「街録」を初めてみたのが、<「人生のどん底」って何ですか?>
の街頭インタビュー。次つぎとインタビューで、真に迫った人生のどん底体験
が生なましく語られていた。小中校時代、家庭内でも深刻な問題があり、それは
それは… 両親を含めて10人家族が戦中戦後を生き抜くことが如何に厳しいか?
10歳の頃、母親が重度のノイローゼに倒れ、3年程、寝込む事態に… 長男、次男
をたて続けて亡くした自己けん責の結果である。その中から何とか立上り、生延び
たが、それは尋常ではない家庭生活。その中で父親が独り、乗越えていた後姿を
みて育ってきた。母は、その心労で心筋梗塞で生死の場面に何度も陥っていた。
発作で苦しむ中で、白髪が逆立つ母を立川病院院長が押さえつけて、
『堀井さん、助かるかどうかは、自分次第ですよ。気力を奮い立てなさい!』と、
絶叫していた。 88歳で亡くなった時、医師の解剖の求めで、心臓の3分2が
壊死をしていたことを知った。 今からみて、小説のような特殊の生活環境の中
で育っていた。そこで「自らも創業人生を生きたい」と決意したのだから無謀も
程がある。太平洋戦の戦前の老舗骨董商(総資産が7〜8億)から、戦死者家族の
仏壇、古着販売、衣料量販店への転業で活路を開き、衣料品の製造産地で現金
決済の仕入れ、格安販売で大当り、一時期、全国的に知れわたっていた。
戦前、戦中、戦後の動乱の中で10人家族が生抜くのは至難の業。 子供でも、
家庭環境の窮状は直に伝わっていた。 シリアスになって当然。だが、自らが
現実に潰されそうにならなければ、理解不能も然り。
―
▼ 6〜7年前のこと。近所の新築の庭周りの業者が冬空の毎日続くミゾレの
厳寒の中でのこと。 2人連れの親方が若い男に口を極めて罵倒していた。
県外ナンバーの車だから、越後の冬場工事がここまで厳しいものとは思っても
なからようで、その怒りを虐めで… 裏地が隣接しているため、パソコンが
置いてある机から丸聞こえ。それも数日間も…。まだまだ心の傷が癒えないが
故に、怒鳴りが私自身に向けているような。
<私だったら、逃げ出すだろうに… もしかして親子?いや、自分の子供に、
これほどの虐めは無理? 成るほど障害、殺人がある訳だとか>と… 様々
な想いが沸きだっていた。どん底に、底がある。底がなければ、奈落に…
その感覚の一端、二回のバンジージャンプで味わってみたが! おぼろ!
・・・・・・
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01月04日(土)
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