ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6852,BS世界のドキュメンタリー「遊びの科学」
ヒトは成熟後も遊びを行なうのが一般的である一方、ヒト以外の動物は成熟すると
あまり遊ばなくなるが、ペット化(家畜化)された犬や猫などの動物は成熟後も
遊びたがる傾向があるようであり、野生動物でもカラスには、
成熟した個体に遊びと思われる行動が見られる。
フランスの思想家、ロジェ・カイヨワはホイジンガの著書「ホモ・ルーデンス」
に影響を受け、「遊びと人間」を執筆した。
その中でカイヨワは遊びを次の4つに分類している。
・アゴン(競争):運動や格闘技、子供のかけっこ
・アレア(偶然):くじ(宝くじなど)、じゃんけん、ギャンブル(競馬など)
・ミミクリ(模倣):演劇、物真似、ままごと
・イリンクス(めまい):メリーゴーランド、ブランコ
カイヨワの説は遊びはこれらの4つの区分に分けられるとしたものであったが、
遊びは必ずしもこれらの単一の要素からなるものではなく、複数の要素を含む
ものも多いとする説もある。
ーーーー
▼ なるほど、と思うが・・・
「遊び」については、何回か取り上げてきた。
人は良く遊び、良く働き、良く学ぶことを通し、良く生きることを目ざす。
どれも必要なことであり、それぞれにとって、背後に二つを必要とする。
何ごとも楽しみになるまで追求すれば、しめたものである。私の場合、ゲーム化
を楽しみへ持ち上げるポイントにしてきた。ゲーム化に対しては批判もあるが、
何ごともやりかた。到達地点を設定して、その間の障害を乗り越えながら
プロセスを楽しめば、遊びへ転換する。
ゲームは、勝ち負けを争う遊戯、競技もしくは賭博として一般的に認められて
いるが、日本では、「ゲーム」という言葉を使う場合、漠然とした「遊び」と
比べ、「パッケージ化された遊戯の一形態」という印象を与える。
学び、働きに対して、遊びが一番充実していた!ようだ。
遊びは他の二つと違って、他者との対比の必要はない。
一番好き嫌いの主観的要素が生かせるからよい。
同じ人生、楽しまなくては!
何ごとも「遊び」まで持ち上がるまで集中すべし!ということか。
ー以前、カラスの遊びについて書いた部分を抜粋してみるー
カラスは「羽の生えた類人猿」というほどの高い知能が、
動物学者の研究観察から認められている。
その一つに人間と同じような“遊び”の感覚があることである。
・目的もなく電線の巻いてあるテープをはがしたり、
・空中でゴルフボールや小枝を落として奪い合うラグビーのような
行動で仲間と遊んだり、
・滑り台で、人間の子供のように滑り降りたり、
・くちばしでレールに小石を並べる行為も、電車が石をはじくのが面白くて
始めた“遊び”といわれる。
そのように無駄な行動を楽しむことをみても、彼らが知的動物であるといえる。
「無駄」なような行動も、「ラグビー行為は、オオタカなどの猛禽類に襲われた
場合に備えてのチームプレーの訓練」という見方もあるが、それを遊びにする
ことが、高度な知的行為である。
ーー イルカや、サルなど知的レベルの高い動物ほど日常の中に
遊びが入っているところが、注目に値する。 d=(^_^)=b
競争、偶然、模倣、めまい、か〜〜〜!
何かの偶然の重なりで娑婆に生まれ、ママゴトのような人生の中で、
ワッペン取りや、かけっこ競争や、ブランコ遊びをして、
ふと、気づくと孫に囲まれ、遊びの手助け!、 これが人生。
Bye♪ ☆~~ヾ・ェ・)o尸~ マタネ~♪
・・・・・・
2004/05/12
1135, 「ライフ・レッスン」−13
ー遊びのレッスンー
遊びは仕事とともにもっとも大事にしなくてはならないことである。
何のために働くのかと問われれば、遊ぶために働いてますと真から
答えることができ、何のために遊ぶのですかと問われれば仕事を
じゅうぶんできるために遊ぶのです、と答えることが理想といえる。
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12月18日(水)
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