ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6734,閑話小題 〜暇人の遊ぶ・・・・
の優越行為。まさか、何か言い返されると思っていなかったようだ。
 生きていればこそ、怒ることが出来る。喜怒哀楽で怒りが一番のエネルギー源。
怒れ怒れ、もっと怒ればよい。そして、その分、喜び、哀しみ、楽しめばよい。
おさえる必要などない。≫

▼ 上記を改めて読み直すと、誰も居ないからこそ左側に沿って走るのが道理。
 直に思いついたのが、ジムで12人定員でステップ台とストレッチマシーン
を交互にやる「イージーライン」というエアロ。終わる直前、マシーン台を
拭くのが礼儀。しかし、面倒なので肩にかけたタオルをマシーンに被せる。
ところが人によって、汗を拭いたタオルでも嫌がる人が当然いる。後の女性に露骨に
嫌な顔をされた。で、当然、私も「怒りへの処置」をした。10年近く誰も
居ないことをよいことに道路を傍若無人に走っていた。スポーツジム、近所でも
誰とも目を合わさず、挨拶もしない態度。一番上のボタンから掛け違えている。
私も社会というより、まず「500m内の世間」に生きている。 今さら、
愛想も直せないし… 意識をして会釈でも始めますか。
 そう、誰も居ない時こそ、マナーの勉強ですか。
<人は人、我は我。されど仲良く>ですか、娑婆は! 
『偉そうに何を書いているかだ、この野郎!』 ったく!嫌な野郎だ。
 
 で、新しい試み、これをアップする前に、一度、ポタリングに出てから、
帰った後に、新鮮な気持ちで、これを読返し、更に校正する必要があるようだ。
ハイ出発!
 
 一時間後 …で、帰ってきました。日常の中の非日常を書くのが日記。
生きていればこそ。毎日の非日常の中に、日常に慣れてしまって気づかない
ことが隠されているということ。人それぞれが、歪な日常を過ごしているが、
第三者には見えるが、当人だけが気づかない。それが娑婆といわれる由縁。 
 ということに気づきました。「そうだよな〜、歪だよな!」

・・・・・・
3802, 哲学人 ー�
2011年08月23日(火)
   * 驚きを忘れた人々  (P/29より)
【 あらゆる意味とあらゆる目的がこの世界のなかにあリ、価値と道徳は人間に
よってつくられる、つまり、価値と道徳は社会的・歴史的に形成されるのである。
真実はミステリアスであるとの意見を『彼ら』は理解できず、それゆえ人間の
経験の意味するところは私たちの理解を超えているのかもしれなといった意見を、
まわりくどい戯れ言(その正体はやはり宗教的なもの)とみなした。
私にとってこの態度のどこがいちばんなじみにくく、理解しがたかったというと、
それは私たちが存在していることに、というより、なんらかのものが存在して
いることに驚異(あらゆるものが奇跡にほかならないということ)を感じる
感覚が欠けているという点である。 結局のところ、深く考えなくても、
子どもくらいの思考力さえあれば、私たちの経験のきわめて一般的かつ基本的な
特徴すら私たちは自分では気づいて当然なのに、私がいま述べているような人々は
その点を見抜けなかったらしい。ある種の常識的なものの見方がほぼ正しいという
ことを自明だととらえているようだが、私にとって自明だったのは
「常識は正しくない」ということだった。あっという間に不可解さと自己矛盾の
泥沼に嵌ってしまうからである。さらに正直に言うと、「『彼ら』は常識的な
世界観を否定することをばかげているとみなしたけれども、私からすれば、
それを容認することこそばかげていた。彼らの見解は、その基盤を顧みない
あいだしかもちこたえ代物だった。はなはだ浅薄であったばかりか、支えとなる
ものはなく、ぽっかりと宙に浮いていたのである。『彼ら』の見解の根本を
問いただしても、そうした疑問はことごとく退屈で的はずれなものとして
退けられた。世界や経験のさまざまな基本的特徴は、人間の推理力ではとうてい
理解できそうにないという事実に注意を向けようとすると、彼らはこの事実を
逆手にとって、問題を提起することを封じこめた。彼らの望みは、理解できる

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08月23日(金)
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