ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6717,閑話小題 〜美しいことは、どう、良いのか?
 それは純化した心持であればこそ可能になる。20歳代後半、30、40、60歳代
の半ばに、修羅場がやってきた。 失敗は許されない。そこで自分を道具に
化して、無心の何かに憑りつかれた純心の魔物のような存在が感じ取れた。
それが後々、返り矢として問われるが、当然、覚悟の上。甘んじるしかない。
 挫折、崩壊の節目時の修羅場に到達した中の純粋性から知恵が湧出てくる。
節目に、チャンスを見出すのは、その内なる純粋性の知恵からであり、普段の
自分から昇華したエネルギーである。人生に大から少なかれ誰も経験すること。

 ロマン・ローランの『ベートーベンの生涯』にある手紙の一節、
『苦悩をとおり抜けて歓喜に!』の言葉を代表に様々な言葉がある。
他にも、
『純粋な心だけが美味しいスープを作る!』
『不死の心を持つ我々人間は、苦悩と歓喜の為だけに生まれる。その中で
 最も優れた者は、苦悩を突き抜けて、歓喜を勝ち得ると言える。』
『友よ拍手を! 喜劇は終わった。』
『墓の下にいても、あなた達の役に立てる。これほど嬉しいことがあるだろうか。』
『音楽とは精神と感覚の世界を結ぶ媒介のようなものである。』
『困難な何事かを克服するたびごとに、私はいつも幸福を感じます。』
これらの言葉の中に、彼の辿ってきた修羅場の激しさを感じ取ることが出来る。

交響曲第9番「合唱付き」ピアノ協奏曲第5番「皇帝」。
ヴァイオリン・ ソナタ第5番「春」。ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の代表曲に、
その純化した魂を感じ取ることが出来る。特に難聴の病になった時の絶望感その
ままの、交響曲第5番「運命」が魂をうつ。『苦悩を付き抜けて歓喜に至る』、
そのままが伝わってくる。余命数ヵ月を直感したときに、誰もが陥る絶望感。
その後の『歓喜』はあるのだろうか? いや、乾いた『ピーッ、プツン!』か。

・・・・・・
4892,定年後の4年目のリアル −2
2014年08月06日(水)
            「定年後のリアル」勢古 浩爾 (著)
 面白そうな要点の抜粋が、アマゾンのレビューに幾つかあった。
≪ ・「この先わたしたちはどうすればいいのだ、・・・というように具体的な
 方策を他人や本に求める根性がすでにだめである、・・・「自分のリアル」は
 自分にしかわからない」(6~7頁)。
・「わたしのこころは基本的に幼少年期からずっとおなじものである。
 中年になってもこころはひとつ。・・・わたしはこれを自分年齢だと考えるが、
 その中核は、多くの人にとっては少年期や思春期のときのこころのままでは
 ないのだろうか」(67頁)
・「社会的年齢と生理的年齢と自分年齢は絡み合い、相互に反発しあって
 一致することはあまりない。そのときは一も二もなく、自分年齢を優先すれば
 いいと思う。いいも悪いもない。そうするしかない。基本的には自分の
 「こころのリアル」に従って生きていくのが一番である」(70頁)。
・「どんな立場もなくなるということが、これほどまで自由だとは知らなかった」
                           (104頁)。
・「さみしいなあ、でもそれがどうした」と思うことである。
 これは「ありのままの自分でいいんだよ」ではない。これが自分の現況である、
 というだけのことである」(153頁)。
・「つまらないことだが、三日間絶食をしてみた。結果、食は生活の句読点
 であり、それが失われると一日はのっぺらぼうの時間になる。それが失われる
 と生活の楽しさの大半が失われる、ということに気づいた」(169頁)
・「わたしたちは自分なりのしかたで自分の生を生きるほかはない」(208頁)。
・「さて、ここでわたしは、「定年後、残りの人生をベストに過ごすには
 どうしたらいいのだろう?」という問いに対しては、たった一言でもって
 完璧無比に答えることができる。「あなたの好きなように生きてください」
 である。 ・・・「好きに生きよう」である。
「好きでなくても、今の生活しかないのなら、それで生きよう、である」(213頁)

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08月06日(火)
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