ID:54909
堀井On-Line
by horii86
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■6618,読書日記 〜『怒りを活かす人…』 〜1
 以前は、今に比べれば、穏和に怒ってくれる人が多かった。でも現代は違う。
怒りを抑えることが良いとされ、それが沈殿してしまう。そして爆発し全てが
破壊する。 怒らないって、本当は恐いのである。

・・・・・・
4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                『怒りの作法』小川仁志 著
    * 日本人はなぜここまで怒らないのか
 何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。 
   ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえ
 られるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。三木は憎しみ
 は負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを秘めた感情という。
 したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める必要がある。
 感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それをうまく放出
 することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に
 暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。
 しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、理解
 するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらうことを
 諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
 長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り
 上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
 他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、
 楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」
 が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、喜怒
 哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。 「風土」論にみる
 日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに上げられる。
 彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。
 モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的であるため従順な人間に。
 これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。
 また牧場型は、自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考える
 ようになる。日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型は
 アフリカやモンゴル。中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。
 農村的なるもののエートスは、共同体を重視するため 近所と波風を立てない
 ことが、まず求められる。あの人は、どう思うかということばかりが気になり、
 常に頭の中に、自分を睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の
 社会制度はほぼ農村出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは
 目立たないことを教え、人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室と
 いう名の農村。もう一つ、気候と関連するものに地形がある。小さな島国の
 日本人は、外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。30年前の
 1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。思想界では、
 ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を極めていた。
 もう一緒に共通の夢、「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・・ 
 それ以降、個人主義が拍車をかけていった。そして誰も怒らなくなった。権利
 意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方がましだから。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が出来ない
 からである。デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいのか、ただ
 呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々人の中で憎しみに変わろうとしている。

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04月29日(月)
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