ID:54909
堀井On-Line
by horii86
[384347hit]
■6156,閑話小題 〜好奇心指数
☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、
神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。
☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的
活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・
芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて
積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な
音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。
☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。
「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた
素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。
これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは
年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな
ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。
ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、
自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。
・・・・・・・・
5423,人生で最も大切な技術 ーF 心の内側を熟視する
2016年01月20日(水)
『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著
* 幸福に関する名言 〜心の内側を熟視する
ここで、無知からの脱出の方法として内観がある、という。その方法は
「分析」と「瞑想」。とすると、私の夜半の半睡の4時間が「瞑想」に近く、
この随想日記の完成のプロセスが「分析」に近いから、夜半から早朝にかけて
毎朝、内観をしていることになる。 幸・不幸は、現実に対する光の当て方、
内側の問題になる。心の熟視は、熟年の楽しみの一つ。 〜その辺りから〜
≪ どのような探求の仕方であろうと、それを喜び、義務、情熱、満足の
うちの何と呼ぼうと、幸福こそが人間の目指す最大の目標ではないだろうか。
アリストテレスいわく、
「幸福は人間の唯一の目標である。人間は常に幸福そのもののため幸福を選択
するのであって、何か別のもののための手段として、それを選択したりしない。」
それに異論を唱える人は、自分が何を望んでいるかを実際にわからないだけで、
幸福という言葉を使わずにそれを求めているに過ぎない。数々の障害を乗り越え、
最終的に価値ある目標を達成するときの満足感は、疑いもなく本当の幸福
「スカ(安楽)の一つの側面が反映された状態といえる。
それは、自分が内面的に調和していると感じさせてくれる。
苦悩や苦難は「自己鍛錬」に繋がる、と信じこんでいる人が、自分の「義務」を
立派に果たす場合でも、自分または人類全体の不幸を培養しようとは望まない。
こうした至福感を手に入れる方法を誤認するのは悲劇的である。
無知は、向上心を歪める。
チベット密教の高僧トゥルンバは、無知についてこう説明している。
「無知は愚鈍とは関係がない。無知とは、ある意味で非常に知性が高い、
ただ、その知性が、あるがままの現実の姿を単純に捉えずに、専ら自分の
固定観念に反応する方向に向いているとき、それは無知と呼ばれる」。
仏教辞典で、無知は、あるがままの現実を認識することができず、幸福と
苦悩を左右する因果の法則があることも理解していない状態、と定義される。
例えば、最善の世界を築きたいだけ、と主張して民族浄化を支持する人たちは、
自分たちの憎悪が正当化できると確信している。利己的な衝動を満足させる
ためなら、死や破壊の種をばらまくことも躊躇しない、という連中は、それが
まったく理屈に合わず、不健全な考え方であっても、自分たちの行為が一定の
満足感をもたらしてくれると期待している。
悪意、妄想、侮辱、傲慢などは、純粋な幸福を手に入れる手段にならない。
にもかかわらず、残酷で、妄想に取りつかれ、独善的で、思い上がりの激しい人
[5]続きを読む
01月20日(土)
[1]過去を読む
[2]未来を読む
[3]目次へ
[4]エンピツに戻る